『シドレクスサガ』の紹介

このページでは、『シドレクスサガ』とその主要人物を紹介します。

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『シドレクスサガ』は、おそらく ノルウェーのベルゲンで、ハコン四世 (1217-1263)の在位中に書かれた作品です。
 太古のゲルマンの風習にならう、などとほざいては血にあけくれるばかりの諸侯たちの ふるまいに業をにやしたハコン王は、ヨーロッパ大陸の叙事詩作品群のいくつかの名作 を翻訳することを奨励しました。それらを読ませることで、偉大なる祖先たちは、それ相応の 礼節をつくしたり、王に敬意をあらわすことを、やぶさかとしなかった人物たちであった ことを教訓させようとしたのです。
 シャルルマーニュやディートリッヒ・フォン・ベルンが、高貴で真の王者たるものの、 もっともな模範例であったので、『カルル大王のサガ』(シャルルマーニュ伝説のサガ)がフランス語から、 『シドレクスサガ』がドイツ語から (2nd href)ノルド語に 翻訳されました。

* 訳者註:「ドイツ語からノルド語に翻訳された」という表現は、「サガのドイツ版がもともとあった」という誤解を招くようなので、説明するが、元となったのは、ドイツのブレーメンとゾースト周辺で取材された英雄歌(リート)である。これらをつなぎ合わせて、かろうじて一貫した物語を織りつづったのである。また、原材料の英雄歌(リート)が、写本などに書きとめられたという証拠はなく、むしろ口承文学だったという見方が強いのである。

『シドレクスサガ』 は、偉大な王ディートリッヒ・フォン・ベルン、ジークフリート、 ニーベルング族ら、数々の英雄たちの物語です。 しかし『サガ』の内容は、幾つかの点で他のテキストとは異なっています。:

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サガの写本について

『シドレクスサガ』 のもとになったと思われるドイツ語の原本は、おそらく ゾーストにおいて、フィリップ・フォン・ハインズベルク大司教 Philipp von Heinsberg (1180年頃)の在任中に 書かれたと思われます。 著者は、おそらく口承文学をその材料としていたのでしょう。

サガの写本は、数点が現存しますが、それらおのおのの関連については、白熱した議論がかわされています:

写本についての説明は、これにとどまりません。 メンブラーメ写本だけをとっても、 最低5人の写本家(redactors)によるものです。 幸運にも、そのうち重要なのは、第2と第3の写本家 (Mb2 と Mb3) のみのようです 。 (正直に申しますと、自分でも詳細があやふやになっています)。

Boerは、さらに話をややこしくして、写本家のほかにも最低二人の 加筆者(interpolators)がいるとしています。

概していえば、 『シドレクスサガ』 批評論の焦点は三つにしぼられます:

最初の二点については、ここでは触れません。さほど重要でない、というわけではありませんが、 第2と第3の写本家が語る、物語の中身の食い違いというものは、きわめて稀だからです。 写本に差異がある箇所は、メンブラーメ写本を優先して採用することにしました。

第3の点は非常に興味があるばかりであなく、それと同じくらいに重要でもあります。

 

サガの内容

『シドレクスサガ』 は、ディートリッヒ・フォン・ベルンとその勇士たちの物語です。 サガはまずはじめに、ディートリッヒの祖先や、ディートリッヒの生い立ちを語ります。
 やがてヒルデブラント、ヴィティッヒ、ハイメなどの勇士が、ベルンに居する ディートリッヒの宮廷に続々とやってくる一部始終が語られます。
 騎士はどれも闘争心はげしく、ハイメもヴィッティッヒも、ディートリッヒ王と 一騎討ちの果し合いに挑みます。ハイメは敗北を喫しますが、ヴィッティッヒはみごと勝利します。
 ふてくされたディートリッヒは、一人旅にでて竜を退治し、さらに二人の勇士を麾下にくわえます。

ディートリッヒは、これら臣将たちを集めおえると、ニーベルンゲン族のハーゲンとグンターを饗宴に招待します。 饗宴もたけなわ、ディートリッヒは、諸侯ら、すばらしい思いつきをしましたぞ、と発表します:  自分とその十二臣将が、ベルタンガラントまで出向いて、イズンク王と十一人の王子、 そして旗手のジークフリートと腕試しをしてはどうか、と言うのです。  勇士たちは、心勇んでディートリッヒに率いられてゆきますが、ほとんどが試合に負けてしまいます。 ディートリッヒ本人が、ジークフリートに勝ち、ジークフリートは、ハーゲンやグンターの妹である グリムヒルトと結婚します。

ディートリッヒの青春も終わるころ、王国は、ローマ王である伯父のエルメンリッヒに襲撃されます。 ディートリッヒは、ゾーストのフン人アティラの宮廷に逃亡し、20年間逗留します。

ディートリッヒには、アッティラの将として、歴戦をたたかうという、さらなる冒険がまちうけています。 そしてベルンの再征服にいどみますが、グランスポルトの大戦で、ディートリッヒは弟とアッティラの 二人の王子を、いまはエルメンリッヒに仕官するヴィティッヒに殺されてしまいます。 ディートリッヒは、戦には勝ちますが、悲嘆にくれるあまり、凱旋して帰参する気になれません。

その間、ニーベルンゲンラントではあまりにも強大になりすぎたジークフリートは、ハーゲンの裏切りによって、 抹殺されてしまいます。 復讐を誓う寡婦のグリムヒルトは、やはり妻を亡くしたばかりのアッティラに嫁ぎ、七年のち、兄弟をアッティラの 宮廷でひらかれる宴に招聘します。 グリムヒルトは、アッティラとのあいだにもうけられた年端もいかない息子を、躊躇なく犠牲にし、 息子に喧嘩の挑発をさせます。そうして斬り合いが勃発し、兄弟たちは討取られます。 ディートリッヒはこらえて中立を保ちますが、ようやく、アッティラの側につき、ハーゲンを倒します。

ディートリッヒは、ヒルドブラントのみを供にくわえ、ベルンに帰還すると、待ち受けたかのように歓迎されます。 エルメンリッヒ王はすでに亡き後で、その後継者は、あまり慕われていなかったからです。 さらには、ディートリッヒは、エルメンリッヒのかつての版図を掌中にします。 余生いくばくもなくなって、キリスト教に改宗し、ある僧院から財産を略奪し、最後の戦闘に出向きます。 それは、かつては莫逆の友であったヴィティッヒを探す旅でした。 ヴィティッヒはしかしディートリッヒの実弟やアッティラの二人の息子を殺したのですから、その仇討ちです。 そして最後の死闘のすえ勝利しますが、みずからも重傷を負って、帰途につきます。

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序文の続き。