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* 序章はフレイヤが《ブリーシンガの首飾り》を手にするため、その製作者の四人のドワーフに、とある代償を提供する。 憤慨したオージンは、その罪滅ぼしをフレイヤに強要するが、それはヘジンとヘグニとの間に永遠の戦いをひきおこさせることだった。名にしおう「ヒャズニングの争い」の起こりである。

 装飾アートで有名なあのウィリアム・モリスとエーリークル・マグヌーソンによる共訳(1901 年)は、格調高い古風の英文で書かれている。 また、ノーラ・カーショウ女史の英訳 (1921 年)には充実した巻末註がある。これらをベースにした私訳を掲載。

Freyja in dwarf's cave, Artist unknown

『セルリの小話サーットル(→註*)
別名 『ヘジンとヘグニのサガ』)

Sörla Þáttur
(eða Heðins saga ok Högnam)

第1章:フレイヤとドワーフたち

アジアの
ヴァナ族の岐路ヴァナ・クヴィースル* ドン川の古称〕以東の地は、かつてアシーアランドとも、 アシーアヘイムとも呼ばれ、 アース族なる民族が暮らし、 アースガルズをその首都とした。その一族の王こそ、 オージンである。 アースガルズには、壮大なる《血祀の神殿》ブロートスタズがもうけられ、オージンは、その 《血祀の神官》ブロートゴジ ニュルズ フレイを任命した。ニュルズの娘を フレイヤといい、これはオージンの側室であった。

さて、このアシーアランドには、一人目を アールヴリッグ、二人目を ドヴァリン、三人目を ベルリング  、四人目を グレールと呼ぶ男たちが、王宮の近くに住んでいた。その職工の腕前たるや、これぞ大したものであって、たとえいかなるものだろうと、みごとにこしらえてみせたのだ。かくなる種族のことを、人は小人ドヴェルグ* ドワーフ〕と呼ぶ。そして、その住処すみかは岩肌の奥深くにあった。今と変わって、その頃は、小人ドヴェルグも、さかんに人間などと交流したものだった。

オージンは、フレイヤを深く愛していた、なんなれば、それは彼女が此の世に冠たる美女なればこそゆえにだった。 彼女は美しくも頑丈な後宮スケンマ(→註1-1)に居を構えており、 いったん戸締りがされ、錠がおろされると、フレイヤが通さぬ限り、何人なんぴとも立ち入れぬと言われていた。

ある日、フレイヤが通りかかると、岩戸がけっぱなしのままになっていた。ちょうどそれは、ドワーフたちが、 黄金の首飾りグル・メン( →註1-2)を鍛えおわって仕上げにかかっているところであった。 フレイヤはこの 首飾りメンィトを、たいそう御気に召しになり、ドワーフたちのほうも、このフレイヤをすこぶる気に入った。 彼女はなんとしても首飾りを買い取ろうと、金銀財宝等々をそちらにとらすぞよ、ともちかけた。ところが、彼らは、金銭には事足りている、とある、、、代償とひきかえにならば、各自の分け前ぶんを売らんでもないが、それ以外はまからない、と言う―そして、そのあるものとは、彼女がかわりばんこに一晩ずつこの者らを夜伽よとぎすることであった。フレイヤがこれを快く思おうが否かろうが、ともかく、この取引は成立し、四晩を経て全ての条件はまっとうされたとし、ドワーフたちは首飾りをフレイヤに手渡した。彼女は、口数も少なに家に帰り、何事もなかったふりを装った。



註釈:

註*(題名) セルリ―あるいは、表記法によっては「ソルリ」とも訓ぜられよう。
『ヴォルスンガ・サガ』の終盤や『詩の語法』第41章にも、グズルーンとヨーナクの間にできた息子の一人として同名の Sörli が登場するが、訳者によってセルリともソルリとも表記される。 [BACK]

















註1-1 後宮スケンマ は、別館の意味もあれば、婦人の居室、閨房などの意味もある。 [BACK]





註1-2 黄金の首飾りグル・メン− 有名な ブリーシンガメンの首輪と推定できる。 [BACK]

第2章:オージンとフレイヤの取引

男は、 ファールバウティといった。 この 老夫カール(→註2-1)には、ラウヴェイという名の古女房ケルリングがいた。女房は、痩身ほそみとひ弱の両方でナールの綽名をもらっていた。夫婦には息子が一人おり、その名を ロキといった。あまり発育は良かざるほうで、おまけに毒舌で、敏捷で身のこなしがすばしっこい、ときていた。それに、相手が誰だろうと、それを、もやもやっと「 詭術スレイズというわざにはめてしまうのだ。それも、まだ年若い頃から狡猾キュンドゥグでならしたので、「 騙り者レーヴィースロキ」(→註2-2)と呼ばれた。この者は、アースガルズに上京し、オージンの下男となった。ロキがすることなすこと、どれをとってもオージンは褒め言葉でたたえた。どんな用事をいいつけても―それが至難なこともしばしばだったのに―思いのほかうまくやってのけるからである。ロキはまた、誰彼がやらかしていることなど、諸々の事情にも聡く、これをもらさずオージンに報告していた。

どうやらそのロキは、フレイヤが首飾りメンィトを手にしたことと、その代償に何を支払ったかまでつきとめたらしく、これをオージンに告げ口した。オージンはロキに首飾りメンィトを取って参れと命じた。ロキは、無理でございます、フレイヤさまの後宮スケンマには、お許しがなくば何人も立ち入りできませぬ、と言った。オージンは、とっとと出てまいれ、首飾りを手にするまで帰参まかりならぬ、と申しつけた。ロキは、ぶつぶつつぶやきながら出て行った。ロキが、ご叱咤にあずかったので、皆共は、そら、いい気味だと愉快がった。

ロキはフレイヤの後宮を訪れるが、戸締りがされている。中に入ろうとするが、入れない。 外の寒気にさらされて、身も震える。ようやく、一匹の はえ(→註2-3)に変身し、錠や蝶番の周りをさんざん飛び回ってみたが、それでも、入り込める隙間はどこにもない。しかし 屋根の棟 に、針が通るくらいの穴があるのを見つけ、その穴をうごめきながらに這いずりこんだ。中に入るや、ロキはあたりをくまなく見回して、誰も目を覚ましていないか確かめた。はたして家の者はみなぐっすり安眠中であった。そこで奥まで入り、フレイヤが横たわる 寝台セーングの間近までくると、フレイヤは首飾りメンィトを身に着けており、 留金ニストがついた側が下敷きになっていた。するとロキはこんどは のみに変身し、フレイヤの頬に跳び乗っかって、ちくりと噛んだ。フレイヤは目を覚まし、寝返りを打って、また眠りについた。ロキはのみの姿から元の自身に戻り、首飾りメンィトをとりはずし、後宮スケンマの戸締りをおろして立ち去り、オージンのところに舞い戻ってきた。

次の朝、フレイヤが目覚めると、戸が開いていたが、しかしこじ開けた様子はどこにもなかった。佳き首飾りメンィトは、なくなっていた。何らかの智略のなせるわざにちがいないと思い、仕度を済ませるとオージン王の館に行き、わらわの宝物を盗ってうばわせるなど、性悪にござります、どうか首飾りメンィトを返しておくれなさいまし、と言った。

オージンは、手に入れた手段が手段だけに、返すわけにはいくまいぞ、と言ったが、こうも付け加えた: (→註2-4) 「ただしじゃ、もしおまえが、二十の小王を統べるほどの王を二人、お互いにさしむけて敵となし、戦争に導き、 呪法アーレェーグ  呪文とアトクヴェーディを以って、斃れても起き上がり戦い続けるようにし、そしてよほど勇猛なキリスト教徒があらわれ、その 主〔なる神〕ラーナルドロッティンよりよほどの加護フュルギ 吉運ギヴタをさずかり、その者があえて戦争に分け入り、 二人の王と武器をとって戦うまで終焉をみさせぬ、というならば、[話は別じゃ]。その、いずれの覇者ヘェーヴジンギやらによってのみぞ、きゃつらは、その凄惨なる行いの苦痛や艱難から解き放たれ、初めて、そのごうしまいとできるのじゃ」
フレイヤは、仰せつかまつりましたにござりますると言い、首飾りメンィトを取り戻した 。



註2-1 老爺カール―この語は、年齢に関係なく平民カールともとれる。 [BACK]







註2-2 詭術スレイズは、英語の sly「ずるがしこい」にも通じるが、もっとも近い英語は sleight 「早業」だろう。これは、奇術のことを sleight of hand「手の早業」などという。 狡猾キュンドゥグ は、英語のken「知己」 や、ドイツ語のkennen「知る」などにも通じるのだろうが、cunning「狡猾」に近い。ロキが会得していたのは、智謀、知略もあろうが本来は「魔法」であったかもしれない。
ロキの綽名騙り者レーヴィースは、「トリックスター」という英訳が定番であるが、より忠実な語釈をすると「他者に害を加える智謀に長けた者」を意味するらしい。ここでは、「騙り者」と和訳したが、これは「かたりもの」、「たばかりもの」、「だまりもの」などと読める。 [BACK]













註2-3 蝿―ロキが変身したのは、最初はで、次にはである。 [BACK]


























註2-4 北欧神話では、オージンは、勇猛に戦没した兵士たちの魂魄を勇者の館ヴァルハラに集めるが、 このように斃れた英雄(エインヘリヤール)たちは神々の手駒となり、きたるラグナレクの世紀末で巨人族と戦うのである。 そのため、人間界で戦争がおこることは北欧の神にとっては必要であった。 [BACK]

第3章:ヴァイキングのセルリ

  フロジ平和王(→註3-1)の崩御より二十四冬が過ぎ、ノルウェーの ウップランド高地* ≒現今のオップラン県?〕国王はエルリングであった。王と王妃の間には二人の息子がいた。 兄は強者セルリセルリ・ステルキ(→註3-2)、弟はエルレンドといった。いずれとも将来を嘱望された青年たちであったが、強さではセルリがまさっていた。彼らは、相応の年齢に達するや、 すかさず収奪の遠征にくわわるようになった。そして海王セーコヌングハキの孫にあたるスヴェイグの子 シンドリというヴァイキングとヨータ河口岩礁群》エルヴァルスケルヤ* ヨーテボリ港ちかく〕(→註3-3)で戦った。ヴァイキングのシンドリとその手の者どもは殲滅された一方で、エルリングの子エルレンドもここに斃れた。それ以降、セルリは《東方の塩》エイストラ・サルト* バルト海〕で掠奪をおこなうようになり、数多の勝利をおさめたが、それらすべてを書き留めるとなると、どうにも長びいてしまう。


註3-1 フロジ平和王−「詩の語法」第42章、通称石臼グローッティの歌」(『詩エッダ』に編まれることもある)の冒頭散文によれば、ローマ帝王アウグストゥスがもたらした平和がフロジ王の手柄にされたため平和王の称号がつけられた。
 また、サクソ著『デーン人の事蹟』では第2、第5巻に二人のフロド Frotho[羅]が登場する。[BACK]

註3-2 強者セルリセルリ・ステルキ− 「ごうのもの」、「つわもの」等と訓じて良いだろう。「メギン」という語幹は入っていないので、「強力ごうりきの」や「力持ちの」などの表現は避けることにした。 セルリやその父エルリングについては、別作の『強者セルリセルリ・ステルキのサガ』を参照。 [BACK]

註3-3 ガウト河口岩礁群エルヴァルスケルヤ 「エルヴ」は、一般に「川」の意味だが、ここではガウト川〔* すなわち現スウェーデン南西、ヴェーネルン湖から海に注ぐ全長 80 km のヨータ川〕。さすれば現スウェーデンの南西の港ヨーテボリの近くの岩礁群と特定できる。[BACK]

第4章:セルリとヘグニ王

ハールヴダンこそ、その王の呼び名であった。デンマークに君臨し、ローイスケルダロスキレ(→註4-1)なる町* シェラン島の古都ロスキレに座した。大フヴェドナを妻に持ち、息子のヘグニハーコンは、体躯、腕力、そしてあらゆる技において比肩なき男たちであった。彼らは成人の身分になるとともに、侵寇に出かけるようになった。

さてここで、物語はセルリに舞い戻る。ある秋のころ、セルリはデンマークに船を帆走ほばしらせたのである。このとき、ハールヴダン王は、諸王の集いに出かけるつもりであった。こうした事の起こりの際には、もうすでにずいぶんとお歳を召していなさった。王には一艘の竜頭船ドレキがあったが、まことそれは素晴らしく、その強靱さと、その 職人仕事の出来栄えにかけては、北欧各国ノェルズレンドほうぼうどこへいけども、又とない船であった。 さて、この船は、港に繋留されたままで、ハールヴダン王は、陸で別れの酒を醸造させていた。だが、セルリは竜頭船ドレキを見ると、大いなる欲望が心にわきおこり、どうしても手に入れなくてはたまらなくなった。 これほどまでの船は、 エリザグノズ、または《長蛇》オルムィン・ランギ竜頭船ドレキ(→註4-2)をさておくならば、 北欧各国ノェルズレェンドのどこにもなかったと、たいていの者は語る。

セルリは、配下の者どもに弁じて、戦闘にそなえよ、と命じた。「ハールヴダン王を亡き者にし、その竜頭船ドレキを奪う」と。

すると、船首長スタヴンブーイ  にして軍帥スタラーリ(→註4-3)でもあるセーヴァルが、「ひとつ申し上げるが、陛下、」と答えた。「ハールヴダン王は、その名もとどろく強大な王。しかも、その仇討ちをなす息子が二人もひかえおり、いずれもれっきとした名うての輩にござりまする」

「たといきゃつらが、神そのものより強大たろうとも、我が戦いにのぞむ所存にかわりはない」とセルリは言った。

そこで、者らは戦闘にそなえて陣形をとった。

その報は、ハールヴダン王の耳にも入ってきた。王は、配下をしたがえて船場にむかい、船を出陣に備えて艤装した。

ある者は、ハールヴダン王の御前にあらわれて、戦うべしとは、悪しき言上におわしまするぞ、分が悪うございますゆえ、ここはひとまずお退きなされたほうが、と諌めたが、王は、なんの、共々こぞって、お互いの足元におおいかぶさって斃るるとも、ここは退くまいぞ、と言った。よって、双方、合戦の支度にかかり、このうえない激戦がくりひろげられた。そして、ハールヴダンが斃れ、その将兵らも皆殺しという決着におわり、セルリは竜頭船ドレキや、金目のものをすべて奪い取った。

セルリは、ヘグニが遠征より戻りオージンの島オージンス・エイ * ≒デンマークのフュン島の都市オデンセか〕(→註4-4)にたたずんでいると聞き、一直線にそちらへ立ち行くと、会って父王のハールヴダンは斃れたと伝え、和睦セートと[罪の]自決シャルフドォミに服すること(→註4-5)、また義兄弟となることを申し入れた。しかしヘグニは、ことごとにそれをしりぞけた。よって、この者たちが戦いし有様は「セルリの歌」スティッキに語られるとおりである。ハーコン*ヘグニの兄弟〕は、良くまっとうに戦い、セルリの 旗手メルキヤ・マズ(→註4-6)にして船首長スタヴンブーイ であるセーヴァルを倒した。さすれば、セルリはハーコンを討ちとり、ヘグニはソルリの父エルリング王を討ちとった。

そしてヘグニとセルリが、相戦うこととなった。セルリは、傷と疲労のあまり、ヘグニの前で倒れこんでしまったが、ヘグニは傷の介抱をゆるし、これをもって義兄弟の契りをかわし、生涯の結束とした。より短命だったのはセルリのほうであり、東方アウストルヴェグ*バルト地方、ロシア〕でヴァイキングに面して命を落としたことは、「セルリの歌」スティッキの曰く―
斃れしは、豪傑ごうのもの
戦好きヴィーグリュスト一なる者。
東方アウストルヴェグ*バルト地方〕では猛々しかる。
諸共は、冥府の廟堂 ヘルパル
死せり、谷鯨ダル・レイズ*オルム
ほまれたかきいつくしみによりて。
剣の集いブランド・モートにて 帷子の刺棒ブリュン・スティングもて
ヴィキングらにぞ喰い込ます。(→註4-7)
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しかし、ヘグニはセルリが落命したと知ると、その夏、東方アウストルヴェグに戦をしかけにいき、全地全勝し、それに君臨する王となった。人の語るところでは、ヘグニ王には二十の王が朝貢の礼をとり(→註4-8)、その許しにて各々の国を治めたという。
ヘグニがその偉業や侵寇より得た名声は、北はフィン人の郷にまで、果てはパリの都まで、またその間をへだつあまねく地に知りわたった。


註4-1 ローイスケルダロスキレ― デンマークのシェラン島にある首都コペンハーゲンの都心から約35km西にあるロスキレ市。シェラン島の古都 [BACK]

















註4-2 エリザは、 『ヴァイキングの子ソールステインのサガ』の題名主人公の船舶であり、『豪胆のフリズショーヴのサガ』にも登場。 グノズは、 アースムンド王の三千人乗りの大船らしいが、 『[フ]ロームンドのサガ』 『毛むくじゃら頬のグリームのサガ』 『隻手のエギルとベルセルクのアースムンドのサガ』に登場するという。   《長蛇》オルムィン・ランギは、オラヴ・トリュグヴァソン王の竜頭船ドレキ[BACK]



註4-3 軍帥スタラーリ―あるいは「主馬のかみ」の役職なのかもしれないが、王に仕える軍の最高指揮官としてとらえた。 [BACK]

























註4-4 オージンスエイは、意訳して「オージンの島」だが、デンマークのフュン島にあるオーデンセ市の旧綴り名でもあるようだ。そしてスノーリの『ユングリング・サガ』第5章でも"オージンが定住した場所"として「フョーンのオージンスエイ」として登場する(ご教授:Warhorn さん。)
 グリムも、『ゲルマン神話』第7章において「オージン島」という意味の名をもつ地名として、同じデンマーク・フュン島のオーデンセと、ノルウェー南岸のエストフォル郡フレドリクスタ市に近いオンセーを挙げている。
 デンマークのオーデンセの地名は、"Odins vi"(「オーディンの社」)からくるとされている。中世の頃には、オーデンセの聖クヌートの聖堂に巡礼者が訪れた土地だという。 [BACK]

註4-5 自決シヤルフドォミ―自殺ではなくて、自分に科す刑をそれなりに自分で決めること。 [BACK]

註4-6 旗手メルキヤ・マズメルキをもつマズ[BACK]










註4-7 詩の解説:この詩にはいくつかの単純なケニング(比喩表現)が使われている。第5行の 《谷の鯨》ダル・レイズルは、忠実に訳すならば「谷のナガスクジラ」だが、これはオルムのケニングである。 しかし、その行と続けて読むと「竜の誉れたかき慈しみ」となるが、難解である。じつはモリス&マグヌーッソン共訳では、この5-6行は 「勇猛な者らがそこで死んだ、《谷魚》の戯れ乗りのさなかに」となっており、ブライアント訳では「ウルムの卓に暖かき餌/慈悲で知られる..」と解釈も切り分けまでも違う。
 残りは、容易にわかるとおもうが、 《剣の集い》ブランドモートというのは、戦闘を意味する比喩表現であり、《帷子の刺棒》ブリュン·スティングも「つるぎ」の言い回しである。 [BACK]



註4-8 これで、女神のフレイヤが戦い合わせると約束した条件の王(二十の王をしたがえる王)のひとりが揃った事になる。 [BACK]

第5章:ヘジン、ヘグニ王につき聞き及び、[北欧の地に推参す]こと

王は名を ヒャッランディ(→註5-1)と言い、 セルクランド* サラセンの地。特に北アフリカ。〕を統べていた。 王妃とのあいだに、一子 ヘジンをもうけていた。ヘジンは、若輩の頃より、体躯からだつき、腕力、技量において無比をほこり、早期より戦にあけくれ、 海王セーコヌングにのしあがり、スペインからギリシャや近隣の諸国をまたにかけて略奪をおこなった。そしてやがて二十の王が彼に朝貢の礼をとるようになり、それらみなヘジンに領国と封冊をさずかる身となった。

ある冬、ヘジンは本国のセルクランドに留まった。言い伝えによれば、ヘジンはあるとき奉公人をしたがえて森に入ったが、 伐り開きの場所で一人はぐれてしまった。その伐り開きに、椅子に女性が座っているのをヘジンは見た。上背のある、容姿端麗のそのひとの名を尋ねると グゥンドゥルだという。(→註5-2)。

そして会話をかわされ、グゥンドゥルが武勲についてなど尋ね、ヘジンは軽快なる[口調]ですべてを語って見せ、そして、かくある自分といかなる上でもひけをとらない、そんな者を存じあげておろうか、と聞くと、いかにも、ことごとく上でそなたにひけをとらぬ者を存じておるぞ、そは、二十の王をしたがえており、名をヘグニという、そしてデンマークに住もうておる、と彼女が言った。

「ぜひとも知りたいものじゃ、」とヘグニは言う。「われら両者のうちいずれがぬきんでているか」

「さればもう、お手の者どもへお戻りくだされ。」とグゥンドゥルは言った。「そろそろ、探しの者が参る頃じゃ」

そこで、それぞれ別れることとし、ヘグニは手下の者どもの方へ行ったが、グゥンドゥルはまだそこに座ったままだった。

されど春がやってくると、ヘジンは出奔の身支度をととのえ、竜頭船ドレキに三百人を乗せ、北欧の地めがけて一夏冬、航海し、春節にデンマークに到着した。



註5-1 ヒャッランディ−  本編の他、「詩の語法」第49章にも語られるが、北欧伝承ではいずれもヘジン王の父である。しかし中世ドイツ詩『クードルーン』では、これにあたるホーラントも、古英詩『デオール』ヘーレンダも王の宮廷詩人。 [BACK]









註5-2 グゥンドゥル(ゲンドゥル)は、『詩エッダ』の一作「巫女の予言」第31節 、『詩の語法』第2、第47章の引用詩、『ハーコンの言葉』エイヴィンド・フィンッソン作のハーコン善王への歌)の随所で ヴァルキューレの一人の名として歌われている。 [BACK]

第6章:ヘディンとヘグニの腕競うでくらべ(→註6-1)

このときヘグニ王は、自邸にひかえていた。そして高貴なる王が来訪されたと聞いて、栄誉はえあるうたげ[をもうけて]、その自邸に招き、ヘジンはそれに応じた。それらが座にすわり、飲み交わしているとき、ヘグニは、いったいいかなる用件おもむきで、わざわぞ、こちらの北の果ての地までまかりこされたか、と聞いた。ヘジンは、用向きとはこうだ、つまり、われわれ二者がたがいにその 精神こころ勇気いさみ、ならびに 技能うで 勲功いさおしを試しあうことだと言う。そしてヘグニはすでにその用意がある、と。

そのあくる朝早く、この者たちは、游泳や射撃をおこない、馬上槍試合ブルト・レイズ武器剣術ヴァープン・フィミなど諸芸の能を競い合ったが、まったくの互角で、いずれがうわまるかなど誰にも見当つかなかった。さすれば二人は義兄弟の契りをかわし、すべての財産を二分にぶんに分け合うことにした。

ヘジンは若くて、未婚であった。ヘグニはいささか年輩で、 ヘルヴェルという妻があり、すなわち ヒョルヴァルズが娘で、その[ヒョルヴァルズ]は 「狼皮の」ウールヴハムヘイズレク(→註6-2)の子であった。

ヘグニには娘もおり、名を ヒルドと言った。これは、このうえなき美しく賢い女で、王はことさらなる寵愛をこの姫に寄せていた。王には他に子はなかった。


註6-1 スノーリの『散文エッダ』第49章(仮題:「ヒャズニングの戦い」)にも本編と同じヒャッランディの子ヘジンとヘグニとの争いの物語が書かれている。 [BACK]

















註6-2 「狼皮の」ウールヴハムヘイズレク『ヘルヴェルとヘイズレクのサガ』の終盤(第16章)にも、レイズゴトランドの王アンガンテュール(アンガンチュル)の子、「狼皮の」ウールヴハムヘイズレクが登場しているが、そちらでは、そのヒルドだとされており、その孫娘、、だとする本編とは異なっている。 [BACK]

第7章:ヘジン、 禍なる行いたぶらかされること

物語の伝えるところによれば、ヘグニはそののち戦に出征し、ヘジンを残して国の守護をまかせた。 ある日、ヘジンは森に遊興に出かけた。天候は快い。またしもヘジンは手の者からはぐれて、 さる伐り開きの場所にやってきた。その伐り開きに、以前セルクランドで見たと同じ女性が椅子に座っているのを目にした。しかも、以前にも増して美しいような。

またしも彼女は言葉を投げかけ、物腰やわらに語り始めた。その手には蓋で覆われた角杯ホルンがとられており、王の心は彼女に惹き寄せられた。

彼女は王に、お飲みあそばせ、と勧めた。ちょうど喉もかわいていた、[体が]ぬくまってきていたからだ。そこで角杯ホルンをとって飲むと、とたん不思議な変化がおこった。かつて身に起きた何事も憶いだせなくなってしまったのである。ヘジンは腰をかけて話にふけこんだ。彼女は、言上ごんじょうたてまつりましたとおり、お試しにヘグニと技能うでしたたかさを競い合いになりましたろうか、と尋ねた。

ヘジンは、如何にもその通り、「いかな芸を極わむにおいても、先方がわしに遅れをとることなきゆえ、引き分けて同格ということになった」と、言った。

「されども、同格ではござりませぬ」と彼女は言う。

「何をもって左様なことを言う?」とヘジンは言った。

「それは、のことにおいてにございます」と、彼女は言う。「ヘグニ殿下は、さる高貴なる家柄のお妃をおもちだが、そなたには妻がおりませぬ」

彼はこう答えた「わしがお頼みもうせば、ヘグニは、娘御どののヒルドを下さるにちがいない。さすればもはや家室つまにおいてわしが劣るとはいえまい」

「されど、それではご貴殿のかげりましょうぞ」と彼女は言う。「ヘグニ殿と同盟よしみをむすぶを願うなぞのていたらくではのう。もし、まことそなたが申すように 精神こころ勇気いさみ も欠かぬのならば、よいか、こうするのじゃ、ヒルド姫をさらい、王妃をかようにして弑しておしまいになれ:すなわち、竜頭船ドレキくちばしの前に横たわらせ、船を出して切り裂いておしまいになるのじゃ」

このときヘジンは、飲まされた エールのために邪心と忘却のとりことなって、まるで、この道を選択するにおいてほかは、まずき次第の如く思えてしまっていた。ヘグニとは約して義兄弟となったことも、すっかり忘れていたのである。

そして、この者たちは別れて、ヘジンは手の者の元へ[戻って]行った。そして夏も暮れるころ、次なることが起きた。

ヘジンは部下に命じて竜頭船ドレキをととのえさせ、セルクランドに行くのだと伝えた。そして 後宮スケンマに行き、ヒルドと王妃とを片手に一人ずつ取って連れ出した。その配下のものは、ヒルドの召し物や、貴重品を持ち出した。国じゅうどこにも、この ヘジンやその一門やからにおそれおおくも手出しする者など誰一人いなかった。あまりにも、その形相ぎょうそういかめしくあったのだ。

しかし、ヒルドはヘジンに何をなさるおつもりか、と尋ねると、彼は問いに答えた。

ヒルドは、なさってはいけませぬ、と頼んだ。「なんなれば、あなた様さえ求婚お申し込みくださるならば、父上だって私をお下さりになりますでしょうに」

「求婚申し込むわけにはまいらぬ」とヘジンは言う。

「されば、」と彼女は言った。「この私めをおさらいになるだけにござりますれば、父上とてなんとかお鎮めすることかないましょう。けどしかし、この悪事、この卑怯者さながらの振る舞い、わが母を殺しておしまいになるなどすれば、父上をお鎮めすることはけっしてかないますまい。なんと私の夢見ドラウムはこのことを指しておりました、あなた様方が戦いて打ち伏し合いて、さらなる重き事由がのしかかりましょう。わらわ憂い大いなること、父がこな所業 邪法アーレグの目にあうとは(→註7-1)。また、あなた様の、そのようなひがみと煩悩をこの目にすることになんの悦びのありましょうや」

ヘジンは、後はどうなろうとも、構いはせぬわと言い、とにかくも事を成し遂げると言った。

「さよう、それ以外はおできになされぬでしょう、とヒルドは言った、 「もはや、ご自分の意思でおやりでは無きにございますから」

ヘジンは浜辺にゆき、竜頭船ドレキを発進させて、王妃をそのくちばし(舳先) へさき の前に横たわらせた。かくして王妃君は、お命を失いになったのである。

そしてヘジンは竜頭船ドレキに搭乗した。だが、準備が整ったところで、ヘルギはまた部下をおいて単独で以前のあの森にいきたいという衝動にかられた。そこでまた伐り開きの場所に来ると、グゥンドゥルが椅子に座っているのを見た。そしてお互い親しく挨拶を交わすと、ヘジンは彼女に自分の所業を語り、彼女は満悦した。彼女は、以前ヘグニが口つけた角杯をたずさえていたが、これをまた勧めてお飲みなされと勧めるので、ヘジンはこれをとって飲んだ。飲むと眠気をもよおし、よろよろと彼女の膝枕で寝入ってしまった。しかしヘグニが眠ると彼女はその頭から遠のき、こう語った:「されば、今より我そなたを 祝福ヴィーギヤいたし、オージンがお命じになったすべての  呪文 アトクヴェーディと条件におかれることと与えましょうぞ。そなたと、ヘグニと一族郎党ともどもじゃ。

ヘジンがやがて目を覚ますと、グゥンドゥルが幽霊のような影となって見えたが、それはみるみる黒く、巨大になっていくかのようであった。そして、すべて呼びさまされる記憶、それらはまこと嘆かわしいかに思えた。[ヘジンは、]かくなれば、いずこかに行ってしまおうと、そう決意した。さもあらざれば自分のしでかした悪行の責めと恥とを、めぐる日ごとに聞かされずにはすまないだろう。そこでヘジンは船に行き、一同はそそくさと艫綱ともづなを解いた。風はおかより向かって吹き、ヘジンはヒルドを連れて出帆して去った。
































































































註7-1 父がこな所業と 邪法アーレグの目に. . この箇所は、モリス英訳では、「おぞまじい妖術/運命と邪なる呪文」としており、バックマン英訳では 、「傷や悪しき術を受け」
    最初の語(meingerð)は、部分ごとに直訳すれば「危害におよぶ + 行い」だが、「(無礼な)行動、犯行」と定義されるので、「所業」と和訳することにした。
    二番目の語(álög)も、分解すると、"á-" 「無、非」 + "lög" 「法」となり、「無法、非道」とものとれる表現を使っているが、ひらたくいえば「魔法」の意味である。つまりキリスト教の弾圧をかいかぐるカムフラージュなのだろう。第2章末で「呪詛アーレグ」としたが、ここでは「邪法アーレグ」と訳した。

 いずれにしろ、次のつづくヒルドの台詞は、「あなたさまはご自分の意思でなさっているではないのですから」とあるから、彼女はヘジンがなにかの魔法の支配にあるのだと悟っていることがうかがえる。[BACK]

第8章:ヒャズニングの戦いの開始

さてヘグニは自国に帰り、事実を知った。ヘジンがヒルドと竜頭船 《ハールヴダンの賜物》 ハールヴダナルナウト をうばって出帆してしまったこと、王妃が屍をさらされたまま野ざらしにされたことなどを。ヘグニの怒りすさまじく、者どもに命じてすぐさまヘジンを追って船を出させた。速やかに事をおこない、風も順風だったため、ヘジンがその前の朝乗りついたという港、港に、夜までには漕ぎ着ける、[ということをくりかえした]。

しかしついにある日、ヘグニが港にたどり着くと、ヘジンの帆が大海原に見えた。ヘグニと手の者どもは、追ってそれに立ち向かった。に伝わるに、ヘジンには向かい風が吹き、ヘグニには順風が吹いたという。 ヘジンは、 ハーホイ* シェットランド諸島のホイ島〕という島に[船を]着けて、往来の傍らに伏せていた。

ヘジンがやってきて、二人が相見あいまみえたとき、ヘジンは柔らに挨拶した。「言わずにはおけぬことがあるのだ、義兄弟よ。」とヘジンは言った。「わしには、とんでもない災厄がふりかかってしまった。そなたをおいてほか、これをただすことはできぬ。わしはそなたの娘を奪い、竜頭船ドレキを奪った。お妃は、亡き者にしてもうた。しかせども、この行い、けっして我が邪心のみのなせるわざではなく、しき 占術スパー禍々まがまがしき邪法アーレグのしわざなのじゃ。今となれば、我ら同士のみで、事を裁断し、 型付けるのが望ましいが、いかがかな。ともあれば、ヒルドと竜頭船ドレキも、兵も財産も失い、世界の遠い果てにゆき、生きて二度と 北国ノルズランドにも、そなたの目前にも現れない覚悟がある」

ヘグニは、答えた。「ヒルドにしろ、そちさえ求むれば、そちにとらせておったろうに。しかしお前はヒルドをわしから奪って逃げた。しかしそれだけならまだ和睦するも可能じゃった。しかし卑怯千万にも、わが妃を横たわらせて殺すなどとは。もはや、お前がこれを償える望みはない。されば、いずれの者が、斬撃を振りおろす腕に長けておるか、いままさに、その優劣を競わん」

ヘジンは答えた。「よくぞ申された。もし、戦いにおいてほかかたはつけられぬとするならば、われら両者のみでするが妥当ぞ。そなたに対し咎あるは我のみ。罪無き男たちが、己の痴れ事と悪行のつけを払わせられるのは、無体というものじゃ」

しかし、いずれの側の者も、異口同音に、お二人のみを戯れさすにはまいらぬ、我らとて総倒れになろうとも[戦うべし]、と言った。

ヘジンは、ヘグニが戦うをおいてほかするつもりはないと知ると、手の者どもに陸に上がれと命じた:「これ以上ヘグニに応じぬわけにも参らぬ、また、戦いを辞することもできん。よって、者どもよ、おのおののおとこぶりにはかってせよ」

士たちは陸に上がり、戦った: ヘグニは猛威を全開し、ヘジンは武器たくみにすさまじい剣撃をふりかざす。

人の伝えるに、まさに大いなる 呪文 アトクヴェーディと悪しき加護力フュルギのこめられた、このときの 邪法アーレグによりて、お互い[頭が]肩まで裂けようとも、なおその足で立ちあがり戦い続けたという。ヒルドは木立よりこの劇を物見していた。

よって、この苦役と苦痛は、彼らが最初に戦いをまじえたときから、オラヴ・トリュグヴァソンがノルウェーの王となったときまで、はてしなく続いたのである。人の伝うに、かの徳人のオラヴ王があらわれ、廷臣のひとりをつかわして、彼らをその嘆かわしゅう使役と惨めなる心労から解き放ちしむまで、百四十三年がかかったという。(→註8-1)














































































註8-1 オラヴの在位は 996 ~ 1000 年。この『セルリの小話サーットル」』は、 <フラテイ本>の『オラヴ・トリュグヴァソンのサガ』の一部として挿入されている。 [BACK]

第9章:ヒャズニングの戦いの終焉

物語の曰く、オラヴ王は即位一年目にしてハーホイにやって来て、夕方に入港した。 この島は、どうしたものか夜の歩哨に立つ者が[次々と]消失し、いずこに行ったともわからないといわれた。

今宵は、 閃光リョーミのイーヴァルが警護にあたる番だった。甲板かんぱんの全員が寝入った頃、イヴァルは剣をとりだした。そは、 イアルンスキョルド(→註9-1)が、そもそも有し、その息子 ソーンステインがイーヴァルに呉れたものであった。そしてすべての武具を携えて島に上陸した。

いくらか内陸にあがると、なんと男がやってくるではないか。体躯は大きく、血みどろで、大いなる悲愴の面持ちをしている。イーヴァルが、男を誰何すると、相手は名をヘジンといい、ヒャッランディの息子で、セルクランド国の血統だという。
「実を言うなれば、」とその男は言った。「夜警の者らが消息を絶っていることは、わしとハールヴダンが子ヘグニの所為せいなのじゃ。我らとわが兵たちは、  呪詛 アトクヴェーディと拘縛におかれたために、夜も昼も戦いどおしでこのかた、人の世で何世代になるか。そして、ヘグニの娘ヒルデも、それを座視しつづけておる。これは、オージンが、定めしことよ。しかも、さるキリスト教徒なる者が我らと戦うそのときまで、解放されることはありえぬのじゃ。 その教徒が打ちすえし者は、二度と再び起き上がることは無い。そうしてようやく、我ら一人一人はこのえきより解き放たれるのだ。よろしくば、そなたも我とともに戦場に来てはもらえまいか。そなたがキリスト教徒なこと、そして、そなたの仕える王は強運の持主だことは、よく存じ上げておる。かの王とその家来とあらば、良かりし顛末になるという気がするのじゃが」

イーヴァルは、同行することについて、よしと快諾した。

ヘジンは、これを悦び、こう言った。「されど、ヘグニと面と向かって会ってはならぬし、また、彼より先にわしを倒してもいかん。生身の人間には、ヘグニに顔を向けることも、殺すことも、わしが先に逝ってしまえばかなわぬことなのじゃ。なぜならば、ヘグニは、その眼に《恐怖の兜》 エーギスヒャルム を持するからじゃ(→註9-2)。しかも、それを遮ることはできぬ。よって道はただひとつ。わしが正面から相手をするから、背後にまわって致命傷を与えてくれ。最後に残ったわしを殺すのは、た易いことじゃ。」
かくして、者どもは合戦に赴いた。イーヴァルには、すべてヘジンの言ったとおりだとった。そこで、ヘグニの背後に回り、頭に斬り込んで、肩まで真っ二つにした。ヘグニは斃れて息絶え、二度と起き上がることは無かった。

そしてイーヴァルは、参戦する者すべてを斬り捨て、最後にヘジンを斬ったが、それはさほどに難業ではなかったのであった。 [しかし、最後にヒルドが座していた木立のところに行くと、彼女は消えていなくなってしまった。](→註9-3)

そしてイーヴァルが船まで行くと、夜明けであった。王の御前に近こう寄り、事を報告した。王は、その行いを高く評価し、これは吉運にめぐまれたのう、と言った。
その日の後ほど、上陸して戦いがくりひろげられた場所へ行くと、その起きた出来事の跡形は微塵も残されていなかった:しかし、イーヴァルの剣には、その証たる血痕が残っていた。そして、以後、警備の者が消失することはなかった。この出来事からまもなく、王は本国へ帰還した。








註9-1 イアルンスキョルド『オラヴ・トリュグヴァソンの最長のサガ』(拡張版)や、 『古人伝集』フォルンマンナ・セーグル(『古代の北方人の事跡の事由についてのアイスランド史書集』スクリプタ・ヒストリカ・イスランドルム・デ・レブス・ゲスティス・ボレアリウム) (邦題は仮訳)の第1〜3巻が「オラヴ・トリュグヴァソンの部」だが、この第3巻125頁にこの人物への言及があるという。[BACK]





























註9-2 その眼に恐怖の兜エーギスヒャルム―これは、ヘグニが相手に恐怖をもたらす力をその眼光に秘めているので、面と向かった者はたちまちひるんでしまうという比喩のようである。Bachman 英訳は比喩表現だということをふまえ、「その眼光は全てのものを殺生する」と訳している。 [BACK]









註9-3 ヒルドの結末は、アイスランド語の電子テキストやバックマン訳にはないが、モリス訳にはこうあった。 [BACK]


由来:
 この
「セルリの物語サーットル(別名『ヘジンとヘグニのサガ』)は、じつは <フラテイ本>らに筆録される『オーラヴ・トリュグヴァソンのサガ』*『ヘイムスクリングラ』にある同名の王伝とは別な、より長編の作品〕にとりこまれた挿話として存在する。(ちなみに「ノルナゲストの物語」もそうである)。

 本編物語冒頭はフレイヤの首飾りにまつわる話であるが、それがドワーフにより作られた、フレイヤがその代償として夜伽をしたいきさつやなどについては、本編「セルリの物語」にしか詳しく伝わらない。スノーリの『散文エッダ』の「詩の語法」第VIII章では、フレイヤのブリーシンガの首飾りブリーシンガメンをめぐり、ともにアザラシに変身したロキとヘイムダルが、ヴァーギの岩礁ヴァーガスケルまたはシンギの岩シンガステインで争ったことになっている。『詩エッダ』の詩歌「ロキの口論」第20詩節で、ロキが(農耕の)女神ゲヴュンを、「色白の若者がお前に首飾りシグリを与え/お前はその太腿ふとももをそやつの上に横たえただろう」と揶揄するくだりがあるが、これが、この作品に書かれたエピソードへの言及だとの解釈もある。

 終盤に起こるヘジンとヘグニの間の戦い(「ヒャズニングの諍い」とも称す)についても、スノーリは 『詩の語法』第49章で触れている。

 英訳で、古いものは エイリーク・マグヌーソンとウィリアム・モリス共訳 『Three Northern Love Stories and Other Tales』 (1901年)の中で、 "The Story of Hogni and Hedinn"という題で訳されている。古めかしいが、より逐語的に訳してある。ちなみに、このモリスは、日本の美術運動にも感化を与えたウィリイアム・モリスと同一人物らしい。注釈などでは「Morris 訳」と省略した。また、Nora Kershaw 女史も、『Stories and Ballads of the Far Past』(1921年)に訳("The Tháttr of Sörli")を収めている。
 新訳としては、W・ブライアント・バックマンとグズムンド・エルリングソン 共訳 『Six Old Icelandic Sagas』 (University Press of America 社, 1993年)に挿入される「Sorli's Story」がある。現代語風なので、すっきりとして判りやすい。注釈などでは「Bachman 訳」と省略した。

 <フラテイ本>は、アイスランド写本のなかでもっとも豪華に彩色・挿絵されたものとの誉れ高い。かつてデンマークの王立図書館内の「旧コレクション(Den gamle kongelige samling)」に収められてたために、「GKS 1005 fol」 というカタログ名がついている。他の写本には、 アールニ・マグヌースソンという王の図書館長の頭文字をつけた「AM〇〇写本」というカタログ名がついている。主たる写本は1971-1997年の間に、デンマークからアイスランドに返還された。

 

推奨リンク:

画像等

『フレイヤ(Freyja))』(部分)。
作者: Nils J. O. Blommer (1816 - 1853 年)。
油彩画。製作:1852年。
所蔵:ストックホルム国立美術館

* フレイヤの女神が金の首飾りをしているのが見える。 作者は、著名ではないらしく、情報少なし。この絵はアーサー・ コットレル著の『Norse Mythology』にも掲載されていた。フルサイズの 絵だと、フレイヤが二輪車に乗って、二匹の家猫が牽引しているのがわかる。
5-ring necklace from Is. of Öland, Sweden 五環の首飾り
出土:スウェーデンのエーランド島トールスルンダ教区、 フェールイェスタデン
所蔵:スウェーデン歴史美術館

*フレイヤの首飾はこんなものだったか?とも想像をかきたてる品だ。同じく三輪、七輪の首飾りも出土しているそうだ。 (ご指摘:Ben Slade 氏)

テキスト等

  • Netútgáfan logo ネット出版Netútgáfan

  • Northvegr banner 北方↑の道Northvegr
      The Tale of Hogni and Hedinn
      (Eiríkr Magnússon & William Morris 英訳).
      別の電子テキストは、Black Maskにもあり、また、一番トップのフレイヤがドワーフの住まいを覗いているイラスト絵を拝借したページはここです。

  • 神智学教会Theosophical Society:

      "Loki Steals the Brisinga-Gem".
      (Elsa-Brita Titchenell 著『The Masks of Odin』第19章であるが、ブリシンガーメンにまつわる序盤、すなわち 「ソルリの小話」第1-2章までを英訳している。)
  • 下(↓)が、<フラテイ島本>の『セルリの小話』が開始する箇所。
    左欄の"F"の花文字から、"Fyrir austan Vana kvísl.." が冒頭の文章。 まあ、読み取るにはズーム度を上げねばならないから、デジタル画像の収容場所を2つばかり紹介する。

    Flateyjarbók
    • Skaldic Database。 この英語サイトは、いろんなパターンでのサーチ機能が提供されている。本来はフレーム使用だが、サガ一覧から、Söra þáttr(『セルリの小話』)を選択すると、この小話が書き写されている数点の写本が挙げられている。GKS 1005 fol すなわち<フラテイ本>の第140-144欄のimages。もうひとつの画像がある Lbs 840 4ºx写本 は、羊皮紙ではなく繊維紙写本らしいが、こちらには「ヘグニとヘジンのサガ」の見出しが大きく書かれている。

    • アールニ・マグヌーッソン研究所 は、本家。じつは<フラテイ本>は、デンマークからアイスランドに返還済みで、こちらがその管理をする機関のサイト。しかし、まだ同時英語化は完全ではないようだ。 まず、<フラテイ本>のページに飛ぼう。
       次に「BLAÐ(ページ指定)」だが、こちらは"第140欄"と入れても正しいページに行かない。"第36葉"の「(•) verso (裏面)」を指定しよう。
       画面は当初は真っ黒だが、「SKOÐA(表示)」の楕円形のボタンをクリックして画像をだそう。あとは高解像なら"120 DPI(120ドット/インチ)" の方を出す。こちらは後続のページも矢印アイコンをつたって閲覧できる。

  • Raqoon 社の MIML (写本画像マークアップ言語)サンプルページ
     表の一行目は、<フラテイ島本>79表ページである。左欄にあるのは、「O」の花文字に見えるが、じつは、「Þ(ソーン)」の花文字。 「Þ(ソーン)」の縦棒の部分が、長い蔓であらわされ、円の部分の中にオラヴ聖王の愁嘆場があらわされている。その下にも騎士や幻獣が描かれる。
     表の三行目は、同じくその9裏ページである。花文字は、幼いオラヴ・トリュグヴァソンとの母子像のようだ。

  • Erik Bosrup's Overlib logo Erik Bosrup さんのサイト
      OverLib (Java スクリプト)を使用して、 マウス(カーソル)でなぞると吹出しボックスに北欧語テキストを表示する仕組みを実現しています。

    日本語サイト

  • サガの写本・スカンディナビアの物語に、<フラテイ本(フラート島本)>の短い説明と、その挿絵の拡大図。 その後の説明だといささか誤謬を招くので説明するが、当ページの『セルリの小話』は、<フラテイ本>にある 『オラヴ・トリュグヴァソンの最長のサガ』(王のサガに分類)の一部だが、小話じたいは、いわゆる「伝説のサガ」 (fornaldar sögur - 伝奇的サガ、英雄サガ、太古のサガなどとも呼ばれる)に分類されている。この分類が提唱されたのは、 実は近代(19世紀)になってからのことだ。
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