1. ガヌロン伯のメモ

用語:十二臣将ドゥーズペール* douzepeer, douze pairs[仏], XII PER, DUZE PER[原典]。 シャルルに最も信頼のある十二名の「同僚ペール」たち。 後世(16世紀以降)では、十二騎士をそれぞれ「パラディン」とも称した。 通説では、『ロランの歌』での、シャルルの十二臣将は、第65節にその名を連ねるアンジュリエ、アンセイス、イヴォン、イヴォワール 、オトン、オリヴィエ、サンソン、ジェラール(ルッシヨンの)、ジェラン、ジェリエ、ベランジエ、ロランということのなっている。しかし武勲詩によって、その構成員はかなり異なる。
かれらがある意味、王とは同格の「同僚」であるというのは、このころは専制政治ではなく、重大な決断は彼らを集めた会議制*tenir cort[仏]で評議したため。(参:新倉俊一『中世を旅する』 p.26)。

*用語: 貴人がまたがる馬は、軍馬デートリエ*destrier[仏], DESTRER[原典]と、ふだんの乗馬である儀杖馬パルフロワ* palefroi[仏], PALEFREID[原典]とに区別される。(参照:第37節479行)
2. ロラン伯のメモ

* ロランをロールとも綴るのは、脚韻をふむためもありますが、おそらくノルマン公国の始祖ロロRollo, Rou[古仏], Hrolf[ゲルマン]を 意識したからにちがいありません。(参照:ワース作『ルー物語』*Roman de Rou (de Wace)→作品紹介。) [主文に戻る]

* 爵位: ロラン伯と第12節175行にあり、。辺境候(辺境伯)ロランと第50節630行。 武勲詩には、人物の爵位が一貫していなく、同じ人物がときには辺境爵、ときには伯爵ということもしばしあります。また、シャルル大帝の頃の時代は「伯」は地方官の称号でした:
「伯 comes [羅], comte [仏], Graf [独] (1)フランク王国最高の地方役人 (行政・軍事・財政・司法官)。 地方豪族の手に掌握された。
(2)封建制期、フランスでは高級貴族の一つ、ドイツでは12世紀以降、小貴族の一つ(高級貴族の臣下)。」
              −山川出版社『世界史小事典』


* 岩波本の巻末註には、ロランはシャルルの「妹の子」としている。しかし、家計譜などの伝承だと、ピピンの短躯王と側室レウテルギス*Leuthergisの間にできたベルタ(ベルトベル)*Berthe,がロランの母親であり、738年生とされていうので、742年生のシャルルマーニュより年長ということになる。

フルオドランドゥス。このロランの歴史上モデルの記述は、エインハルドゥス著『カロルス大帝伝』(Vita Karoli Magni Eginhardi) にある。エインハルドゥス(c.775-840年) Eihardus、はエギンハルド Eginhard ともいわれる。この史書は、岩波本ではフランス読みで エジナール著『シャルル大帝伝』と呼ばれている。

* 『ベルタとミローネ』*Berta e Milone[伊], Berta et Milon[仏]と『オルランディーノ』Orlandino[伊], Rolandin[仏]の二作は、いずれもヴェネツィア本『フランク人の事蹟ジェステ・フランコール』*Geste Francor(di Venezia)[伊], Deeds of the Franks[英](別名「マルコの第13写本」*Codice Marciano XIII[伊], MS Marc. XIII[仏])と称する写本にみつかる。この14世紀の皮紙写本は、通称フランコ=イタリア語という仏伊混交で書かれた文体の作品九編を収録する。この写本にはまた、『デーン人オジエの幼年期)』*Les Enfances Ogier [仏], Le imprese giovanili di Uggeri[伊]にあたる『デーン人オジエの騎士叙勲』*Le Chevalerie Ogier de Danemarche[仏], Il cavaliere Uggeri di Danimarca[伊]

* 聖ジル(アエギディウス)*Giles[英], Gilles[仏], Aegidius[羅](8世紀)。この聖人は、ローヌ河口のアルルの近くで隠者の暮らしをしていたが、あるときフラウィウス王*Flavius[羅(またはワンバ王*Wamba)の手の者が追ってきた雌鹿をかばって矢傷を手に受けた逸話が有名だ。この雌鹿は聖人の友で、食事を運んできたとも、授乳してこれを養ったともいわれる。フラウィウス王に乞われて、その野生の洞窟の側に修道院を建て、弟子を取ることを承知したという。

* 第156節:2096-8行 この箇所は、拙訳だと[シャルルの]の御為に、神は聖者ジルをして不思議を起せリ / ラン*Laon[仏], LOUM, LOUN[原典]の修道院で詔書シャルトル*CHARTRE[原典]を下された。 / そのいきさつを存ぜぬ者には、とうてい理解はかなうまじ。となりますが、シャルルの近親相姦罪にはふれずにの聖ジルの奇跡に言及しています。岩波訳では、<戦場の様子が、その場所にいなかった聖ジルに奇跡的に伝わったのではないか>という、見当違いな憶測論にしたがっています。

* 「シャルルの罪」については、Leslie Zarker Morgan 氏のItalian Literature: Geste Francorを参考。
* 『トリスタン・ド・ナントゥイユ』からの2行は、Hans Erich Keller の論文「Le péché de Charlemagne」(L'imaginairecourtois et son double. Actes du VIe Congrés de la Société Internationale de Littérature Courtoise (ICCS). 24-28 juillet 1989. Pubblicazioni dell'università di Salerno. Sezione Atti, Convegni, Miscellanee 16. Ed. Giovanni Angeli and Luciano Formisano. Naples, Rome, Milan: Edizioni scientifiche italiane SPA, 1991. 39-54.) より再引用した。

用語:ステンドグラス フランス語でステンドグラスはヴィトラュ(単数形)/ヴィトロー(複数形)*vitrail/vitraux[仏]というが、こういう大ステンドグラスはとくにヴェリエール*verrière[仏]とも呼ぶ。岩波訳では「焼絵ガラス」といっている。

* イタリア作品では、オルランド(ロランのイタリア名)の剣名はドゥランダン(ドゥリンダナ)*Durandan(Durindana)[伊] と呼ばれ、 これは「非柔軟な」の意だとの解釈もあります。(典拠: 『Brewer's 成句・寓話事典』 の剣リスト)。 デュランダルの接頭部分「デュール」*durは、フランス語で「硬い」を意味し、接尾部分を「アンタイユ」*entailleとするならそれは「溝、斬り傷」等を意味します。そう解釈しますと、なぜかアイルランド伝説の名剣カラドボルグ(アーサーの剣の前身とも説かれる剣)の意味ときれいに合致します。「硬い+斬り傷」というのは、『カルル大王のサガ』(→作品解説)の試し切りの場面を彷彿とさせます。カルル大王が試し切りの材につかうのは鋼の山ですが、アーサー王と関わり深いウェールズ語ですと、「デュール」という言葉は「鋼」を意味するのです。


サン・スーラン教会*Saint-Seurin[仏]―聖セウェリヌス[羅]*Sanctus Severinus[羅]。(サン・スーランはフランス読み)。この名の聖人はおよそ十人ほどいますが、ここではおそらく、ボルドーの 聖セウェリヌス(?~420年没)か、ベネディクト会の僧侶、ボルドー司教(405~420年)でしょう。また、ケルンの聖セウェリヌス(?~403年没)は、ケルン司教でしたが、生まれはボルドーとされます。アガウヌムのセヴェリヌス(?~507年頃没)は、ブルゴーニュに生まれ、 現スイスののアガウヌム修道院長でしたが、医師も匙を投げた難病になやまされるクロヴィス王を治癒したと伝わります。 同名の聖人は合祀されたり、祭日が統合されたりします。

* 岩波文庫のデュランダルについての巻末註(926行の注釈)で、有永 弘人は、以下のような点を取り上げる:
  • カルル大王のサガ』という散文作品や、その他十篇以上の武勲詩 〔シャンソン・ド・ジェスト〕に、デュランダルやその他の剣について、どういう経由で持ち主の手に伝わったかという由緒や、 刀匠の名などが記されていること。
  • シャルトル本寺(聖堂)の焼絵ガラス[ステンドガラス](13世紀)に、ロランの描写があること。
  • ヴェローナ本寺(聖堂)の外側に刻まれた石像のロラン像(12世紀半)は、盾と剣を、 携えており、剣には DV RIN DAR DA の銘が読み取れること(ただし、これは像の本体より後代に刻まれた文字)であること。

用語:ペロン perrons [仏], PERRUNS [原典], terraces[英] (<ラテン語 「石」 )
  現代フランス語では、玄関口などの階段、大建造物では基壇を指す。英訳で「テラス」としているのは後者の解釈なのであろう。 しかし、ロランの場面に出てくるものは、壇(段)がついた像の台座のようなものと想像できる。岩波訳では「標石」と訳しているが、 私訳では、「礎石〔ペロン〕」とした。


*岩波訳本の 1153行の巻末註にヴェイヤンティフという語は、「..「老年」を意味する二語から合成されている。「古老」とでも訳すべきか」とある。つまり"vielle"「古い、年老いた」+"antique"「昔の」ということだろう。



* 中世ドイツ版の『ローラントの歌』リートでは、四つの聖遺物は、内訳が若干異なる。 そして、『カルル大王のサガ』も、これまた違った三つの聖遺物を記している。(それぞれの作品紹介の部で、具体的に説明しています)

角笛の奉納..
* 「〔〇〇の〕ボルドー」は、は欠文で、写本では読み取れない。岩波訳では「〔音に聞こえし〕ボルドー」と補筆している。
* 「バロン」*baronは、岩波訳にならって「勇士..」と訳した。 現代語では「男爵」と定義されるが、語源はフランク語の ber =「剛の者」。昔は、王の直参の家臣、もしくは亭主、戸主、または戦技や、勇猛ヴァセラージュに長けた人間にあてられた。(参:
commentaires (laisses 58-60) )
なぜ聖スーランが勇士と呼ばれるに値するのか、そのいわくは不詳。
* このマンゴン貨幣*MANGUN[原典]は、金貨と解釈されるようだが、情報に乏しく詳しくは不明。しかし、序盤で異教徒ヴァルダブロンがガヌロン贈る剣も「マンゴン金貨千枚」に値する(第49節621行)とあるから、おそらくサラセン領スペインの貨幣。
3. チュルパン大司教のメモ

ランスの聖堂は、クロヴィス王以来、フランスの歴代王が、聖油塗布の秘蹟をさずかり、戴冠の儀式をうける場所。つまり、チュルパンと行動を共にするシャルルの正統性が強調されます。

*本来は、聖職者たるものや流血をもたらすことはつつしまねばならず、鈍器である鎚矛メイス*masse d'arme, aspergé [仏], mace, holy water sprinkle [英]が武器な筈であるのに、チュルパンはこのようにスピアや剣を手にして戦います。

*チュルパンについて、"par grand vertue"という形容がされています。 岩波版ではチュルパンが「猛勇グラン・ヴェルチュ奮って..」PAR GRANT VERTUT襲いかかるのだ(96節1246行)と訳していますが、現代語的な一般解釈としては、「徳篤きグラン・ヴェルチュでもって」と訳すのが普通です。ところが、古い用例を調べると、「大いなる神通力グラン・ヴェルチュをもって」という意味でも使われるようです。

* 用語:褐色の鋼―『ロランの歌』のなかでも数回、言及される、アルマスの刃の素材は、原典どおりだと 「褐色の鋼アセ・ブラン」*ACER BRUN[原典]。これは現代フランス語訳でいいかえると、「磨かれた鋼アシエ・ブルニ」*acier bruni[仏]だというのが一般解釈です。 岩波訳でもこの解釈にそって、「刃金輝く」等と訳出しています。
 英訳では、「褐色の鋼ブラウン・スチール」*brown steelになっています。ですが、"brown" という単語には、「褐色」という第一定義のほかに、中世において「磨かれた」らしかる意味がったことが確認できます:
brown (定義4)— 武器や鋼鉄についてもちいられた語で、どうやら「こすり磨かれた*burnished」、
「ぎらりと光る*glistening」等を意味したらしい。廃語。
[中世オランダ語 "brun" 「輝く」 (出典:Kalkar 著書)や、仏 "brunir" =「こすり磨く」 と同義。]
                              −『オックスフォード辞書(OED)』

 しかし、《褐色BRUN》 も「磨かれた」、《白色BLANC》も「磨かれた」(参照:
1022行註)というのでは、成り立たないのではないのでしょうか。いささかの区別も無いとは。
 いささか飛躍的なな説ですが、「褐色な鋼」には、茶褐色・蒼色の酸化物の皮膜を作って錆びにくくする工法「ブルーイング」*bleuir [仏], bluing[英], brünieren[独]が使われたとしたら?

* 「アルマス」の意味解明の試み
* 辞典を調べて、「アルマス」*almace[仏] にほどちかいといえる言葉といえば、「施し物、義捐ぎえん金」を意味する英単語「アルムズ」*alms[英](=フランス語「オーモーヌ」*aumône[仏]) をあげる事ができます。「アルムズ」[英]の語源の古語を調べますと、よりいっそう、剣名「アルマス」にちかい発音であることが判ります。:
alms
..aelmysse(古英語) < alemos(i)na (ゲルマン系言語) < alimosina(俗ラテン)
< eleemosyna(後期ラテン) < eleemosune (ギリシャ) 「哀れみ、慈悲」
                              −『オックスフォード辞書(OED)』
つまり 「アルマス」=「慈悲」は、かなり有力説ではないでしょうか?「慈悲」といえば、英国戴冠式に使われる三本の剣の一本が、 「慈悲の剣 Sword of Mercy」であることが思い浮かびます(もっとも、この慈悲の剣はデーン人オジエの剣クルタナと同一視される ようですが)。

* 用語:槍と矛―『歌』には、二種類の長柄の武器が登場します。それらは エピエ*ESPIET, ESPIEZ[原典]ランス*LANCE[原典] 、とそれぞれ訳されています。(例:「槍また矛の切っ尖をうけ...」−42節541行)。
 エピエにあたる現代フランス語は「エピュ」「 épieu ―(昔の)戦闘用・狩猟用の猪槍(ししやり)、矛(ほこ)」です。(白水社『Le Dico 仏和辞典』)。現代フランス語で、「ランス」は、英語でいうところのランスもスピア も含めて意味します。

その根拠として、まず原文を見てみますと、チュルパンはアビームの胴を「斬ってトランシュして」*TRENCHET[仏]います。 しかし、いかに鋭利な矛トランシャンなエピエ(=き矛」)*ESPIET TRENCHANTを振るったにしても、 胴斬りは、至難のわざ。ですから、岩波訳では、「斬った」のではなく「突き通した」のだと表現に手を加えています。しかし、逆の発想をするならば、むしろここですでにチュルパンはを抜刀している、とみることもできないでしょうか。
 また、『カルル大王のサガ』では、おそらくアルマスと同一の剣であるアルマシアについて、カルル大王(シャルルマーニュ)は、 「異教徒を討つにうってつけの剣かな」と言っているのです。ですから、これを魔術師アンシャントゥールシグロレル*SIGLOREL L ENCANTEUR[原典](109節1390-1行)や、 魔法ミラクル〕の盾を持つアビーム*Abîme[仏]; ABISME[原典]=その名も「奈落/地獄」 (127節1658行-) を対峙するのに使わない手はないでしょう。

用語 クロス crosse: 笏杖または牧杖。司教杖の一般イメージとしては、牧羊者の杖をモデルにした、先端が巻貝状に渦巻いていたタイプのものが定着している。司教杖ならば、英語で crosier だが、英訳では十字架/十字杖〔クロス〕*cross[英]と訳されている。そのことから、十字架の形をした馬標や軍旗の類だったという可能性も出てくる。

* 宝石:アビームの盾を飾る宝石は、岩波訳だと「..紫水晶とトパーズなり。/ またエステルミナルあり、燃ゆる石榴石ざくろいしあり」となっていますが、拙訳では欧米の名のままに統一することにしました。エステルミナルというのは、辞書を調べても載っていませんでしたが、「エステル」は「星」の意味ですので、スター・サファイヤのような、アステリズム(星彩効果)を有す石ではないかと推察します。カーバンクルというのは、まばゆい光をはなつ架空の石ともされますが、丸くカットした柘榴石(ガーネット)をそう呼びます。語源は赤々と熱せられた「石炭のかけら」の意味ですので「燃えるカーバンクル」が適した形容なのです。

岩波訳は「一文の値打ちなし」と訳します。 「一ドゥニエ」は、ラテン風に言えば一デナリウス、英国風に言えば一ペニーです。近代のペニー貨幣は銅貨のイメージがあるかもしれませんが、本来は銀貨です。
4. オリヴィエのメモ

* ヴィエンヌ*Vienne[仏]は、南フランスのローヌ河沿岸にある。岩波の巻末註には 「ドーフィネ州」とあったが、これは旧地名で、現今はイゼール県に位置する。また、997行にも鋼鉄の産地ヴィエンヌの名がみえる。ちなみにイゼール県ヴィエンヌの15kmほど南には、ルーシヨンという町があるが、「老将ルッシヨンのジェラール」(第65節:797行)の出身地はそこではなくスペイン国境に隣する旧ルーシヨン州のことだろう。

* ジェラールGerard, Guinard II, Gerhard II (810年生?-877没?)―ブルゴーニュの豪族。フザンサック伯レウトハルド*Leuthard, Lisiard (Comte de Fezensac)とグリミルド(グルムイルディス)*Princess Grimildis of Aquitaineの子。
 パリ伯(837年)、ヴィエンノワーズ(ヴィエンヌ市をふくむガリア時代の旧国名、プロヴァンス北部)知事(855年)を歴任している。しかし継承をめぐってはロテール王側についたためシャルル禿頭王の侵寇を受け、妻のベルタはヴィエンヌを守ったが870年陥落された。これらの故事が武勲詩の素材となっている。  彼が設立したポティエールとヴェズレー修道院の
設立憲章*The foundation charter for Pothières and Vézelayには、ジェラール夫婦とその父母等の名が記される。
 この人物が、旧ルーシヨン州(フランス南端のスペイン国境に接した国)の出身だという根拠はなにもないというが、ジェラールの設立した修道院のどちらかの僧が創作まじりの伝記『ジラール・ド・ルーションの生涯』*Vita Girardi de Roussilloni(12世紀初)に著された。ほぼ同じ12世紀初頭頃にプロヴァンス(南仏)方言の武勲詩『ジラール・ドールーシヨン』が成立し、14世紀には弱強六歩格アレクサンドリーヌ(alexandrine)形式の詩が書かれている。のちに、ブルゴーニュのフィリップ善公の依頼を受けてウォークラン*Jean Wauquelinがジェラールの伝記を著した(1447年)。

* ジラール・ド・ルーシヨン―(岩波訳:「老将ルッシヨンのジェラール」*Gérad de Rousillon (le Vieil)[仏]; GERART DE ROSSILLON(LI VEILLZ)[原典])。
 『ロランの歌』(第65節:797行)では、十二臣将のひとりで、ほんの端役である。 しかし、プロヴァンス(南仏オック語)系の武勲詩『ジラール・ドールーシヨン』(12世紀初)ではシャルル大帝の祖父シャルル・マーテルの暴君ぶりに対抗したブルゴーニュの豪傑の物語としてつたわる。
 その歴史的ベースの人物が、シャルルの子・孫の代の人であるのに、あるいは『ロランの歌』でシャルルやロランの傍らで活躍したり、あるいは宮宰マーテルの古い時代に奮闘するのは興味深い。  


* もしくはそのカクストンによる英訳『チャールズ・ザ・グレート』
5. シャルル大帝のメモ

* ラン*Laon[仏], LOUM,LOUN[原典]は、エーヌ県の首邑で、パリの北東130kmに位置する。ランス*Reims[仏], LOUM,LOUN[原典]

*タンサンドールの意味解読の試み:例えば、"tant"「あんまり、とても」 + "cendré" 「灰白色」の馬、とは 考えられないでしょうか。現代語だと"tant"は、「あんまり」の意味なのでしっくりいかないのですが、この時代ですと「とても」の意で使っていたふしがあります。、『ロランの歌』第81節:1022行の"TANZ BLANC"=「とても白き」が用例のひとつです。

*ビテルヌの楯:なぜか英訳は、ボルドー地方のジロンド県と訳しているが、これはまったく異なる解釈によるものなのか?
 おそらく誤訳かと思われますが、英訳ではさらに王のエピエは、BRANDIR[原典]を「振り回す矛」でなく「ブランデューヌ Blanduneの」と解釈していますが、まったくどこの地名なのか見当が付きません。Branduneならばウォリックシャー州 Brandon の古い綴り?としてあるようです。



用語:ブルニ(鱗鎧)*bronie [古仏]、BRUNIE[原文]、iron sark[英訳]。  もともとは、ローマにつかえてあゲルマン族が、ラテン語のトラクス*thorax [羅](「胴」を意味する胴鎧)を、そのまま自国語に訳して「ブルニア」*brunia[古高地ドイツ] と呼んだと考えられる。だから、本来は「胴当」、「胸当て」以上の意味はないとみていいだろう。
 そのため、実際にどういう材質でできた防具をさすかについては混乱している。8-10世紀のフランク王朝で、実際に使用されたブルニアとしては、革製の地に、うろこ状の金属のさねを縫いつけてつづったタイプが考えられる。11世紀頃から特に、密に編んだ鎖帷子についてもブルニ/ブロニと呼ぶようになり、オーベルク*haubercと用語が混合するようになった。
 岩波訳では、「板金鎧」としているが、これは後世でないとあらわれなかった"plate armor"のような響きがあるので避けることにした。
6. 錦旗オリフラムのメモ

3094 行の岩波註:
-御旗はもと、聖ペトロ寺にありて、その名をローマ旗といいたり。−前行の「緋錦の御旗」(オリフラ
ム)の由緒を述べたところであるが、ゴーチエの考証によれば、最古の(九世紀)オリフラムはローマのサン・
ジャン・ド・ラトラン寺の「食堂」にあるモザイクで示されており、このモザイク二つのうちの一つ
にシャルル大帝が聖ペトロの手から緑色の旗を授けられているところが表されており、これはローマ市
と教皇の旗である。第二のモザイクでも同様シャルルがキリストの手から旗を受けているが、それは帝国
がつまり、ローマ旗の名を持つ聖ペトロの旗である。つまりカロリング朝のオリフラムとカペー朝のオリ
フラムがごっちゃになったという。
7. マルシルのメモ

岩波訳の、997行の巻末註:
ヴィエンヌ産の鋼鉄という表現が古い本にしばしば見かけられる。ドーフィネ 州のヴィエンヌを指すか。

* 鋼の産地ヴィエンヌ:岩波の註のとおり「旧ドーフィネ州のヴィエンヌ(現:イゼール県)」であるならば、これはすでにふれたとおり、 オリヴィエのおじジェラールの出身地と解釈される場所で、ローヌ河沿岸、リヨンの28km ほど南の町です。しかし、そこに鉄鋼業や刀工の産業が興されていたという情報はあまりみつかりません。 別候補としては、ポワティエ市の一帯であるヴィエンヌ川流域も挙げられましょう。 またオーストリアのウィーンも、フランス語ではヴィエンヌといいますが、ここは剣・鎧の産業ではヨーロッパ有数の都市ですし、 鉄鋼の産地として名高いインスブルック産の鋼の出荷港でもあったはずです。

岩波訳の、1022行の巻末註:
白き鎖鎧−特別の彩色というより、鉄の新品として、磨きたてた意味である。 他に青や緑の彩色もあったことはキシュラも挙げている。

* すでに褐色の鋼の解説で触れましたが、「白き」*BLANCも"磨きたてた"という意味で、「褐色」*BRUNもそれと同じ解釈だというのは、いかがなものでしょうか。私には、何らかの区別があるように思えるのですが。
8. バリガンのメモ

* 「騾馬の重荷」―中世ペルシャの重さの単位であるハルワール(カルワール)は、直訳すると"ロバの荷重"の意で、 100 マンに等しく、約 160 kg にあたる。この単位については時代と地域によって著しいひらきがある。たとえば、 現在アフガニスタンで使われるハルワール= 565 kg または 580 kg(16 maund = 1280 ポンド) という。

* サフロン拵え(岩波訳:「サフル飾り」)、RUBY>鱗鎧ブルニ〕(岩波訳:「板金鎧」)。黄金の玉縁(岩波訳:きんもて宝石嵌めし」)などについては、シャルルの節ですでに解説した。

* 3152行-:岩波訳は「吊り緒は、車模様の上等の絹布にて作る。」となっている。 まずここで「絹布」と訳されている palie は、第19節272行では、「敷物」と訳される。さらにはその語源はラテン語の pallium であり、 ローマの
* 用語:物語群シークル*cycle 英語では「サイクル」*cycleと読み、ドイツでは「クライス」*cycleという。
 フランスの武勲詩を、ベルトラン・ド・バール=シュール=オーブの定めた三つのシークルに分類することもあるが、現代ではさらに細かに細分化することもある。ベルトランは武勲詩のみを想定しているが、「中世ロマンス」は、おいおい武勲詩シャンソン・ド・ジェスト散文プローズも創出されていくことになるので、「シークル」という分類にはあるいは散文作品も含まれる。
 一方、シャルルマーニュとその騎士の作品群全体をおしなべて「シャルルマーニュのシークル」ととらえることもある。それは、アーサー王伝説群を全体を「アースリアン・サイクル」(英)と称する慣例と一致する。しかしながら、この大分類の言葉としては、もうひとつ、「マチエール」*matière(英語 「マター」*matter、ドイツ語 「シュトッフ」*Stoff)という語がある。シャルルマーニュ王とその騎士の題材を「フランスのマチエール」、アーサー王の題材を「英国のマチエール」と称すのである。