。
シャルルに最も信頼のある十二名の「
で評議したため。(参:新倉俊一『中世を旅する』 p.26)。
と、ふだんの乗馬である
とに区別される。(参照:第37節479行)
「伯 comes [羅], comte [仏], Graf [独] (1)フランク王国最高の地方役人 (行政・軍事・財政・司法官)。 地方豪族の手に掌握された。
(2)封建制期、フランスでは高級貴族の一つ、ドイツでは12世紀以降、小貴族の一つ(高級貴族の臣下)。」
−山川出版社『世界史小事典』
の間にできたベルタ(ベルトベル)*
がロランの母親であり、738年生とされていうので、742年生のシャルルマーニュより年長ということになる。
と『オルランディーノ』
の二作は、いずれもヴェネツィア本『
(別名「マルコの第13写本」*
)と称する写本にみつかる。この14世紀の皮紙写本は、通称フランコ=イタリア語という仏伊混交で書かれた文体の作品九編を収録する。この写本にはまた、『デーン人オジエの幼年期)』*
にあたる『デーン人オジエの騎士叙勲』*
―または、アングレリア候ミロン
(Milon, Count of Angleria)、ミロン・ダングレシス(Milo d'Anglesis)などとも呼ぶ。以上の名前は、北イタリアのロンバルディア州アンジェールの出身を示唆する名だ。ところが一方で、オンジエール公ミロ (Milo, Duke of Aungiers)、ミロン・ド・アンジェール(Milon de Angers)などと呼ぶこともあるが、そちらの名称は北西フランスの旧アンジュー州アンジェールの出身をほのめかしている。
(8世紀)。この聖人は、ローヌ河口のアルルの近くで隠者の暮らしをしていたが、あるときフラウィウス王*
(またはワンバ王*
)の手の者が追ってきた雌鹿をかばって矢傷を手に受けた逸話が有名だ。この雌鹿は聖人の友で、食事を運んできたとも、授乳してこれを養ったともいわれる。フラウィウス王に乞われて、その野生の洞窟の側に修道院を建て、弟子を取ることを承知したという。
の修道院で
を下された。 / そのいきさつを存ぜぬ者には、とうてい理解はかなうまじ。となりますが、シャルルの近親相姦罪にはふれずにの聖ジルの奇跡に言及しています。岩波訳では、<戦場の様子が、その場所にいなかった聖ジルに奇跡的に伝わったのではないか>という、見当違いな憶測論にしたがっています。
というが、こういう大ステンドグラスはとくにヴェリエール*
とも呼ぶ。岩波訳では「焼絵ガラス」といっている。
と呼ばれ、 これは「非柔軟な」の意だとの解釈もあります。(典拠: 『Brewer's 成句・寓話事典』 の剣リスト)。
デュランダルの接頭部分「デュール」*
は、フランス語で「硬い」を意味し、接尾部分を「アンタイユ」*
とするならそれは「溝、斬り傷」等を意味します。そう解釈しますと、なぜかアイルランド伝説の名剣カラドボルグ(アーサーの剣の前身とも説かれる剣)の意味ときれいに合致します。「硬い+斬り傷」というのは、『カルル大王のサガ』(→作品解説)の試し切りの場面を彷彿とさせます。カルル大王が試し切りの材につかうのは鋼の山ですが、アーサー王と関わり深いウェールズ語ですと、「デュール」という言葉は「鋼」を意味するのです。「[象牙彫刻の]原形をとどめた例には..オリファン(おもに11世紀に南欧地域で作られた戦闘用または狩猟用の角笛で、浮彫りで飾られた)..がある」―新潮社『世界美術辞典』。
―聖セウェリヌス[羅]*
。(
か?)に想定しており、カナ表記もそれに合わせて区別したようです。
は、岩波訳にならって「勇士..」と訳した。
現代語では「男爵」と定義されるが、語源はフランク語の ber =「剛の者」。昔は、王の直参の家臣、もしくは亭主、戸主、または戦技や、
は、金貨と解釈されるようだが、情報に乏しく詳しくは不明。しかし、序盤で異教徒ヴァルダブロンがガヌロン贈る剣も「マンゴン金貨千枚」に値する(第49節621行)とあるから、おそらくサラセン領スペインの貨幣。
が武器な筈であるのに、チュルパンはこのように
襲いかかるのだ(96節1246行)と訳していますが、現代語的な一般解釈としては、
。これは現代フランス語訳でいいかえると、「
だというのが一般解釈です。
岩波訳でもこの解釈にそって、「刃金輝く」等と訳出しています。
になっています。ですが、"brown" という単語には、「褐色」という第一定義のほかに、中世において「磨かれた」らしかる意味がったことが確認できます:brown (定義4)— 武器や鋼鉄についてもちいられた語で、どうやら「こすり磨かれた*」、
「ぎらりと光る*」等を意味したらしい。廃語。
[中世オランダ語 "brun" 「輝く」 (出典:Kalkar 著書)や、仏 "brunir" =「こすり磨く」 と同義。]
−『オックスフォード辞書(OED)』
が使われたとしたら?
にほどちかいといえる言葉といえば、「施し物、
(=フランス語「オーモーヌ」*
) をあげる事ができます。「アルムズ」[英]の語源の古語を調べますと、よりいっそう、剣名「アルマス」にちかい発音であることが判ります。:
almsつまり 「アルマス」=「慈悲」は、かなり有力説ではないでしょうか?「慈悲」といえば、英国戴冠式に使われる三本の剣の一本が、 「慈悲の剣 Sword of Mercy」であることが思い浮かびます(もっとも、この慈悲の剣はデーン人オジエの剣クルタナと同一視される ようですが)。
..aelmysse(古英語) < alemos(i)na (ゲルマン系言語) < alimosina(俗ラテン)
< eleemosyna(後期ラテン) < eleemosune (ギリシャ) 「哀れみ、慈悲」
−『オックスフォード辞書(OED)』
、
、とそれぞれ訳されています。(例:「槍また矛の切っ尖をうけ...」−42節541行)。
います。
しかし、いかに
を振るったにしても、
胴斬りは、至難のわざ。ですから、岩波訳では、「斬った」のではなく「突き通した」のだと表現に手を加えています。しかし、逆の発想をするならば、むしろここですでにチュルパンはを抜刀している、とみることもできないでしょうか。
(109節1390-1行)や、
(127節1658行-)
を対峙するのに使わない手はないでしょう。
と訳されている。そのことから、十字架の形をした馬標や軍旗の類だったという可能性も出てくる。
は、南フランスのローヌ河沿岸にある。岩波の巻末註には
「ドーフィネ州」とあったが、これは旧地名で、現今はイゼール県に位置する。また、997行にも鋼鉄の産地ヴィエンヌの名がみえる。ちなみにイゼール県ヴィエンヌの15kmほど南には、ルーシヨンという町があるが、「老将ルッシヨンのジェラール」(第65節:797行)の出身地はそこではなくスペイン国境に隣する旧ルーシヨン州のことだろう。
(810年生?-877没?)―ブルゴーニュの豪族。フザンサック伯レウトハルド*
とグリミルド(グルムイルディス)*
の子。
には、ジェラール夫婦とその父母等の名が記される。
(12世紀初)に著された。ほぼ同じ12世紀初頭頃にプロヴァンス(南仏)方言の武勲詩『ジラール・ドールーシヨン』が成立し、14世紀には
がジェラールの伝記を著した(1447年)。
)。
は、エーヌ県の首邑で、パリの北東130kmに位置する。ランス*
おそらく誤訳かと思われますが、英訳ではさらに王の
シャルルも(第184節2499行)も、サラセン軍も(第82節:1032行)、鎧にこの種の装飾(色彩)がほどこされている。
基本的に「サフラン色(黄色)に色づけした」意味らしいが、それがどういう工法なのかは、諸説があるようだ。岩波訳では
「サフル飾り」(→岩波の巻末註)
サフロンは、音写は洎夫藍、漢名が
1) まず、フーレが説く「酸化亜鉛」は、黄色でなく、白色顔料である。中世より知られてはいたが、顔料としての使用は、近代までまれであるという。ただ、黄色ではないと言ったが、「紫外線に当てると黄ばんだり石灰化する」らしい。もしかすると、フーレは、中世の黄色顔料として顕著な
と混同したのではないかとも思われるが、
これは有毒(硫化ヒ素が成分)なので、これはこれで問題がある。(資料:Conservation and Art Materials Encyclopedia Online の zinc oxide の項。)
2) 真鍮の針金を鎖綴りに編みこむと、それが黄銅色の縞模様になるが、こういう工法の鎧をバンデッド・メイル*
という(資料:ffoulkes著『The Armourer and his Craft』, p. 46
)。ただ、柔軟性の観点から、編みこむのは革紐だというのが有力説か?当時の実物標本が一例も残っていないため、正確には判っていない。
。
もともとは、ローマにつかえてあゲルマン族が、ラテン語のトラクス*
(「胴」を意味する胴鎧)を、そのまま自国語に訳して「ブルニア」*
と呼んだと考えられる。だから、本来は「胴当」、「胸当て」以上の意味はないとみていいだろう。
そのため、実際にどういう材質でできた防具をさすかについては混乱している。8-10世紀のフランク王朝で、実際に使用されたブルニアとしては、革製の地に、うろこ状の金属の
と用語が混合するようになった。
岩波訳では、「板金鎧」としているが、これは後世でないとあらわれなかった"plate armor"のような響きがあるので避けることにした。
-御旗はもと、聖ペトロ寺にありて、その名をローマ旗といいたり。−前行の「緋錦の御旗」(オリフラ ム)の由緒を述べたところであるが、ゴーチエの考証によれば、最古の(九世紀)オリフラムはローマのサン・ ジャン・ド・ラトラン寺の「食堂」にあるモザイクで示されており、このモザイク二つのうちの一つ にシャルル大帝が聖ペトロの手から緑色の旗を授けられているところが表されており、これはローマ市 と教皇の旗である。第二のモザイクでも同様シャルルがキリストの手から旗を受けているが、それは帝国 がつまり、ローマ旗の名を持つ聖ペトロの旗である。つまりカロリング朝のオリフラムとカペー朝のオリ フラムがごっちゃになったという。
ヴィエンヌ産の鋼鉄という表現が古い本にしばしば見かけられる。ドーフィネ 州のヴィエンヌを指すか。
白き鎖鎧−特別の彩色というより、鉄の新品として、磨きたてた意味である。 他に青や緑の彩色もあったことはキシュラも挙げている。
英語では「サイクル」*
と読み、ドイツでは「クライス」*
という。
(英語 「マター」*
、ドイツ語 「シュトッフ」*
)という語がある。シャルルマーニュ王とその騎士の題材を「フランスのマチエール」、アーサー王の題材を「英国のマチエール」と称すのである。