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«Nota Emilianse» 「サン・ミリャン手記」 (1070/75 年頃) 【シャルルマーニュ伝説】

 
 たった数行の要約に過ぎないが、スペインでのこの古文書のくだりの発見は、すくなからず 興奮をもたらしたようだ。なんにしろロランら十二臣将を名指す文献でありながら、『ロランの歌』現存最古の オックスフォード写本(1100 年頃)よりもなお古いと認定されたからだ。

 とりわけ『ロランの歌』がそもそもスペインで創作されたとする説*2を とる学者らにとって有力な証拠と目された。
 その仮説は、サンティアーゴ・デ・コンポステーラの巡礼の慣習やそれにまつわりつく言い伝えの発展の 一環として考察される。(巡礼の道筋の、フランスからスペインに抜けるあたりにロラン受難の地ロンセスバイェス〔*ロンスヴォー〕 がある。また、この巡礼崇拝の経典とも言うべき『聖ヤコブの書』Liber Sancti Jacobi の第四巻が、かの『偽テュルパン年代記』であるのだ)

 問題の古文書とは、スペイン王立歴史アカデミー Real Academia de la Historia 所蔵のエミリアネンセ写本39、 Códice Emilianense 39 である(「エミリアネンセ」は、「サン・ミリャン・デ・コゴヤ修道院の〜」 San Millán de la Cogolla を意味するラテン語)。
 これは「野蛮な混成ラテン語」で書かれた「豆辞典」などととも説明されることがあるが、 実は年代記のようである。そのうちの一葉に、ロランとシャルルマーニュにまつわる事件が書かれていて、それが「ノータ・エミリアネンセ」である。

— Codex Emilianense 39, Fol. 245v, col. b.
「ノータ・エミリアネンセ」、カルロス大帝のくだり

 下にテキスト全文を掲載することにする。バージョンは、そもそも発表のあった学芸誌*3からとった。(別個 Gil Fernandez*4 が 発表したテキストも存在し、じつはこちらは他サイトでオンライン化済みであった)
 左がそのラテン語原文で、右欄の試訳は、Gago-Jover 教授のスペイン訳を利用した。 固有名はスペイン語形を〔〕に残すことにした。 *5:

In era dcccxui uenit Carlus rex ad Cesaragusta
In his diebus habuit duodecim neptis unusquisque habebat
tria milia ęquitum cum loricis suis · nomina ex his
Rodlane · Bertlane · Oggero spata · curta
5   Ghigelmo alcorbitanas · · Olibero · et ępiscopo domini Toripini ·
Et unusquisque singulos menses serbiebat ad regem cum
scolicis suis ·· Contigit ut regem cum suis ostis
pausabit In Cesaragusta! post aliquantulum
temporis · suis dederunt consilium ut munera
10   acciperet multa · ne a ffamis periret exercitum!
sed ad propriam rediret · Quod factum est. ··
DeInde placuit, ad regem pro salutem hominum
excercituum! ut rodlane belligerator fortis
cum suis posterum ueniret ·· At ubi exercitum
15   portum de Sicera tranisret! In Rozaballes
a gentibus sarrazenorum fuit Rodlane occiso
—transcription of Nota Emilianense
Alonso 編のテキスト
[* 固有名は大文字に変更]
816紀 [西暦778年] カルロがサラゴサ Zaragoza にやってきた。 当時、[大王]には十二の甥がおり、おのおの三千の騎兵と胴鎧ロリカたち[雑兵]をもっていた。その名はロルダーン Roldán 、ベルトラーン Bertrán 、ロヘル Roger 、「短き剣の」オヒェール Ogier 、「まがり鼻の」グイエルモ Guillermo 、オリヴェロス Oliveros とトゥルピーン司教閣下 Turpín である。 それぞれが、部下をかかえて一ヶ月交代で王に仕えた。 ときに王が軍をサラゴサに駐屯させたことがあった。 そのとき評定がひらかれ、軍が飢餓で全滅しないように高い税金を賦課するか、 さもなければ帰国するように、と進言がなされた。 このうち[後者の選択が]決行された。王は、軍の人員の安全をおもんばかり、 剛の武人であるロルダーンとその隊がしんがりにつくことをのぞんだ。 軍がロンセスバイェス Roncesvalles のシセーラ門 Sicera を通過したとき、ロルダーンは サラセン人に討たれた。
—tr. mine.

 ここでグイエルモ [オランジュのギヨーム] の渾名につかわれるラテン語 alcorbitanas は、ふつう辞書に載っているようなごではないが、これが古フランス語の 'corb nes' 「まがり鼻」の渾名のラテン語形*6 であるとの情報を得ている。

 また、十二臣将が参勤制度か町奉行の交代制度のようなことをおこなっていたことは興味に値する。 ここで開かれた評定については、僧コンラートのドイツ語『ローラントのリート』にも、「松の木のたもとの会議」pinrat [中期高地ドイツ語]を思い浮かべる(参:《チュルパンの 笏杖クロス十字架クロワ)



*1 このオックスフォード本の 1100 年より古い事実 を大きくとらえすぎなきらいもある。オックスフォフォード写本は最古の写本で、 テュロルドという作者の名もここに書かれるが、すでにノルマン人征服 (1066 年)のときに、 ロランについての歌を演じていることが記録されている 参:タイユフェール.

*2 スペイン語ではこのほか断片が存在する: [Cantar de] Roncesvalles の断片(約 100 行。 13世紀) Kohler, Eugène 編 Antología de la literatura española de la Edad Media (1140-1500),2d ed. (Paris: Klincksieck, 1970), p.11-13. (* また、この断片について解説するサイトに Fragments of a Lost Epic Poemがある)

*3 Alonso, Dámaso 編 "La primitiva épica francesa a la luz de una «Nota emilianense»", Revista de Filologia Española XXXVII, (1953), pp. 1-94

*4 Francisco Gago-Jover のCantar de Roncevalles ページ。 College of the Holy Cross 大学のスペイン文学科の Span 400授業関連。ラテン語対スペイン語訳。

*5 この Nota は、じつは Cronica Rotensis という年代記の一記録のようだ(その冒頭文をみると 題名は「 cronica uisegotorum (西ゴート年代記)」と称しているようが。)
Gil Fernandez, Juan, 編 Cronicas asturianas, Oviedo, Universidad de Oviedo, 1985. pp. 151-188











*6 フェランテの序文。Ferrante, Joan M., tr.
Gulliaume d'Orange: Four Twelfth-Century Epics。フェランテの情報元は J. Frappier, Les Chansons de Geste du Cycle de Guillaume d'Orange (Paris, 1955) I, 78-9 とある。


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