HOME > Fantasy Items Index > シャルルマーニュ伝説 >

《チュルパンの 笏杖クロス十字架クロワ》 «Turpin's Crosse» 【アイテム:杖】 【シャルルマーニュ伝説】

croce ("司教杖" 『ロランの歌』) [古仏]; kruchen [中高独]
croix ("十字架/十字杖" 『アスプルモンの歌』) [古仏]; kross [古ノルド]

チュルパン大司教司教杖(牧杖)か、あるいは携帯用の十字架

チュルパンがロンスヴォーの戦いにのぞんで携えていた「クロス」は、おそらく司教杖(*岩波訳では「笏杖)である。
 そしてかならずしも現物の杖を戦場に持参したとはかぎらない。フランス勢は、あくまで比喩表現として、 <「司教杖」-- すなわち「ランス司教座の職務」--をまかせれば安泰だ>という感想を表しただけなのかもしれないのである。
 さてはなにより「ランス大司教」の職務というものは、クロヴィス王以来、歴代のフランス王の戴冠式を執り行う(聖油を塗るなどの秘蹟をさずける)役目も併せ持つ。いわば「王家の司教」という格式なのである。

 一方、『アルプルモンの歌』Chanson d'Aspremont で歌われるアゴラン王との決戦で、 チュルパンが手にしていたのはまぎれも無く十字架である。
 これは戦場にむかうおり、ミロン法皇からさずかったもので、 キリスト磔刑の「真の十字架」 の切れ端を使った、霊験あらたかな品であった。
 チュルパンがかかげる十字架は、聖軍の軍旗のごとく、燭光をはなち、相手のサラセン軍の目を眩ませた。


§ Ch. de Roland (ca. 1100 年頃)

 チュルパンが 悪魔の贈物である魔法の盾エキュ・ア・ミラクルの持ち主、アビームを倒した直後、フランス人の味方軍は、チュルパンがその牧杖クロス *1 にふさわしいと称える。

1508    Dient Franceis: «Ci ad grant vasselage!
En l'arcevesque est ben la croce salve.»
(— laisse CXIV, ll.1508-9)
フランス勢いう、「また、見事なる武者振りかな!
1670   大司教の手中にありて、その笏杖は安泰なり!
(— 127節1669-70 行, 岩波文庫 有永弘人訳)

 Scott-Moncrieff 英訳では"the Cross" 「十字架」となっている。


*1 白水社『Le Dico 現代フランス語辞典』にも(スペルは異なるが)「crosse - 司教の持つつえ、牧杖(ぼくじょう). . 」と載っている。

また、古仏形 croce と同じスペルでは、Nicot, Thresor de la langue fran. (1606)を引けば確認できるが、 そこでは croce はラテン語 lituus 「曲がった杖」と定義されている。(crosse でも載っているが、croce を見よとなっている)。

§ Rolandslied (ca. 1130 年頃)

 武勲詩にはみあたらない場面だが、コンラート司祭のドイツ翻案作品『ローラントの歌』Rolandslied だと、 フランス側は戦いに突入する前にあらかじめ、 サラセン側とどう対処すべきかについて「松の木のたもとの会議」*1(pinrat [中世独語])をひらく。
 そして会議で議長役をつとめたトゥルピン(*=チュルパン) Turpin uon Raines が、その牧杖クルヒェン (* kruchen*2 [中高独] 『ローラントの歌』 1252 行) に寄りかかる、という描写がある。

 写本の挿絵 (右) がその画であるが、トゥルピンの手元には、明らかに牧杖がみられる。

 しかしながら、ルンツェファルの戦いRunzeual, Runcival そのものでは、アビュッセ公爵 Abysse(5490, 5506 行)を倒したチュルパンにたいし、友軍の皆共が「牧杖にふさわしい」とこぞって称える描写が欠けている。 それにとってかわって司教みずから「いままさに突き刺したり!」 ("nu hastu gar uerstochen!" 5490-行)と自慢するセリフが交わされているのである。
*1 植物学的な正確さを期すならば、樹種は「松」ではない。中世ドイツ語 pin (pinboum) は、英語の "pine" に似るが、 厳密には近代ドイツ語Fichte =「エゾマツ、トウヒ」

会議のテュルパン(部分)。『ローラントの歌』の写本挿絵で はっきり牧杖を持った姿で描かれる。
— Heidelberg 写本 第?葉
(Cod. Pal. germ. 112)

*2 kruchenは、標準の中期高地ドイツ語 krücke, krucke、現代ドイツ語 krücke 「松葉杖、鉤のついた杖」と同源語のようである。

§ Pseudo-Turpin (ca. 1150 年頃)

『偽チュルパン年代記』は、テュルパン司教みずからがラテン語でつづった書というふれこみである。 よって、この作品では、ロンスヴォーの戦いにはおらず、戦死をまぬかれたことになっている。 よって合戦でテュルパンの出番はないのである。

 だが、この作品のもっとも有名な写本である《カリストゥスの書》 Codex Calixtinus の彩色豊かな表紙絵には、 トゥルピヌス(*=チュルパン)が司教杖を手にした像があるので特筆しておきたい。

 法皇カリストゥスII世(1124 年没)、俗名ギー・ド・ブルゴーニュは、ロンスヴォーやサンティアゴ・デ・コンポステーラ 信仰に大きく貢献した人物で、『聖ヤコブの書』Liber Sancti Jacobiのうち少なくとも何巻かはこの法皇の執筆とされ、あるいは『偽チュルパン年代記』(『聖ヤコブの書』第4巻)の真の作者ではないかとも目されている。

牧杖を持つトゥルピヌス(detail) — 『偽チュルパン年代記』の表紙絵
Codex Calixtinus, Liber IV,
Historia Turpini,
the "Pseudo-Turpin"
[loc.]

§ Chanson d'Aspremont (ca. 1190-1200 年頃)

 『アスプルモンの歌』*1 の舞台は、かつてはスペインと間違えられたこともあった *1aが、今ではイタリア南端のカラブリア地方であると解釈が通説となっている。
 イタリア半島に上陸したサラセン人の懲膺に行ったシャルルマーニュ王の一行と、アスプルモンの難関を守るオーモン王子 Aumons, -mes, Eaumon, -mons, -mont, -mes と初戦の火蓋が切られる。オーモン王子が擁する10万の軍勢は敗走の憂き目をみるが、シャルル王みずからが深追いしすぎ、 危うく一騎打ちでやられるところを、まだ初陣に出すはずでなかったロラン少年 Rollandin が、 ⇒モレルに乗ってかけつけてその場を救い、相手の武器⇒デュランダル 奪取の活躍をする。

 後半部では、討ち取られた息子オーモン王子の弔い合戦にと、異教徒の王アゴラン Agolant, -lansが、イタリア侵攻の拠点とした リーズ市 Rise (≈ レッジョ・ディ・カラブリア市) を出立し、みずから軍をひきいてアスプルモンでの総力戦にあたる。

 総力戦が展開する前、緒戦で勝利したシャルルマーニュは、戦利品の分配や、それまで盾持ちの身分だった若者たちの 騎士叙勲式をとりおこなっていた。
 そのあとでミロン法皇 Milon は、フランス軍のミサ聖祭をおこない、演説のあとで十字架クロワ を 持ってこさせる。フランス軍はそれを前にすると、屈した膝を地につけて祈祷をささげた:

La crois demande et on li aporta:
Une partie de cel saint fust i a
U Dex fu mis qant Longis le navra.
Quant il la virent, cascuns s'agenella
Chanson d'Aspremont,
第 385 詩節 7671-4 行.
Brandin 編
命じられた十字架クロワが持ってこられた。この十字架には、
ロンギヌスによっておいためになられしキリストをば、 はりつけたる、
かの《祝福されたる梁》〔*真の十字架の角材〕
一片が埋めこめられていたのである。
これを見て、方々かたがたともひざまずく。
—私訳

 リーズ(レッジョ・ディ・カラブリア市)では、アゴラン王は、はじめ敗戦の報は受けるが、息子オーモンの消息については、 何もわからずじまいでいた。そこでウリアンUliens とガランドルGalindres に和平のシンボル橄欖オリーヴの枝(rain d'olive 7732 行)を持たせ、フランス陣に派遣した。
 しかしその談判はなんとも高飛車であった。こちらが結集した大軍に勝ち目はない、シャルル王よ、 「お前は、とりもちの鳥ごとき、捕まったも同然だ」(* Tot estes pris con li oisials em broi 7897 行)と宣言する。そして容赦の条件はシャルルの降参やマホメットへの改宗だと言う。
 かような要求にたまりかねたジラール・ドゥーフラト Girart d'Eufrate という過激な性格の人物は、やつめの息子のさらし首と右腕を持たせて返事とすればよい!と、提言する。

 このような返事(息子の生首)を送りつけられたとあっては、もはや決戦は避けられようはずがない。 フランス軍は、馬や甲冑の身支度を始める。ミロン法皇は、なんとか例の十字架を戦場に持参してくれる 奇特な戦士はいないかと探していたが、なかなか現れない。
    エランギ Erengi は、武器は役に立つが、そんなものは 用を足さないとて、聖なる「梁」を持つのを辞退。イゾレ Ysoré も断るが、 軍馬に乗ったあちらの司教はどうかと推薦する。

Torpins de Rains ne s'atarga noient
A l'apostole clina parfondement;
La crois reçut icel jor loialment.
—同、 第 423 詩節 8490-3 行.
ランスのチュルパン は、遅れをとらず;
使徒(ミロン法皇)の前で、頭を深々と下げる。
この日、忠実に十字架を受け取れり
—私訳

 フランス勢は、 ふたたび膝を地につけて十字架を拝む。泣きじゃくるものさえいたという。 するとアスプルモンの岨道そわみちを、三人の騎士が馬にまたがってやってくる。  デーン人オジエが、白馬 (ceval blanc 8512 行) に乗った騎士に近づき、 何者かと誰何すると、謎の騎士は 聖ジョールジュ (Yorge 8517 行)だと名乗った*2
    聖ジョールジュは、若きロランのそばに寄りに、これからマンダカンMandaquinと 戦うことになろうが、「相手の巨大さをおそれてはならぬぞ、坊。この日より幸運をもたらすためには"聖ジョールジュ"と叫べ」と諭す。
 つまりキリスト軍の勝ち鬨の掛け声「聖ジョールジュ!」 (Crie «Sains Iorge») は、 この物語のなかでは、聖人みずから教示したことになっているのである。

 チュルパンが手にした十字架は煌々とかがやき、サラセン人たちを寄せつけようとしなかった。法皇の言葉を借りれば:

En cele crois se laissa travellier,
Veé le la reluire et flamboier,
Que cil d'Alfrique n'i puënt aproismier.
—同、 第 455 詩節 9294-6 行
..かの十字架にて、[主は]善業ごうを担った;
見よ、その輝き燃え立つさまを、
アフリカの[異教徒]共を近寄らせぬありさまを
—私訳
一場面では、チュルパンはしばし十字架をまたいったん法皇に預けて、武器を取り戦中に挑む。

Torpins de Rains ne volt mie lassier:
"Sire apostles, ne vos doit anuier:
Or vos revuel la sainte crois ballier,
Car j'ai hauberc et si ai bon destrier,
Espee çainte et cler iaume d'achier
Et arcevesques sui ge et chevalier.
—同、 第 455 詩節 9312-16 行
ランスのチュルパン もやはり、ほうってはおけず。
「使徒(教皇)さま、心配は無用!
この聖なる十字架はお返し申す、
わしには鎖鎧も良き軍馬もありますゆえ、
佩剣も冴えた鋼の兜も、
われは司教にして騎士なり」
—私訳

 しかし、またのちほどには、チュルパンは聖なる旗手の役割に立ち戻っており、「輝き燃え立つ聖なる十字架」 La sainte crois reluire et flamboier 9402 行から放たれるまばゆい光で サラセン人の目を眩ませ、士気をくじいていた。  そんな大司教を、サラセン人たちはこうののしった:、

«Male aventure ait cis confanonier !
Son confanon voi al ciel atochier.
Veés le la dedevant tot premier?
Veés le la reluire et flamobier
9760   Que li solaus en laisse son raier ?
Tote nos fait la vëuë cangier.
A itel gent nos fait mal tornoier;
Nos n'i poon nule rien gaagnier.»
—同、 第 475 詩節 9755- 行
「おのれ、このゴンファノン旗持ちに呪いあれ!
見るところどころ、やつのゴンファノンが天にたなびく。
見えるか、そこに、いっとうの先頭をきるのが?
見えるか、そこに輝き燃えさかり、
9760   陽光さえをしのぐ光を射るのが?
われら全員を盲となし、
やつらに対して、悪運に転じさせ、
こちらの勝ち目をなくさせるのが」
—私訳

 ここでゴンファノンというのは、三角旗(ペナント旗、あるいは燕尾や三つ尾に先が分かれているもの)をさすと思えばおおよそ間違いはないだろう。ただ、ここでは十字架をかざすチュルパンを「聖なるペナント旗」をかかげた旗差しに例えているわけである。

 さて、近代の芸術作品ではあるが、チュルパンが掲げた十字架の絵(右上)が、ゴーチエ Leon Gautier 著 『騎士道(La Chevalerie)*3に銅版画として挿入されている。 この大著で取り上げるトピックは膨大であるが、そのなかで『アスプルモンの歌』の「奇跡の十字架」"La Croix Miraculeuse" ないし 「真の十字架の木片」"le bois de la vrai croix" もとりあげられていた。


*1 Louis Brandin 編 La Chanson d'Aspremont (1919 年)。
Michael A. Newth 英訳 The Song of Aspremont (1989 年)

*1a これは『アスプルモンの歌』の敵王アゴランが、『偽チュルパン年代記』のアゴランドゥスをモデルにしていることが 大きな理由であろう。
 また、「アスプルの峠」(les) porz d'Aspreという場所名が『ロランの歌』 異本の1103 行目や、 に登場する(正本では「スペインの峠」)。『偽テュルパン年代記』のフランス訳にもこの地名があり、アゴラン王が、タイユボールグからパンプローナへの行き来に使っているし、また、フランス軍の殿軍がサラセン人の待ち伏せを受ける場所でもある。
 ただし、aspre は現代仏語 aspérité に通じ、「けわしい、険峻な」などの意味の語なので、随所にそういう名があっても大しておかしくはない。































*2 このときサンジョールジュ(英式に言えばセントジョージ。ラテン式ならば聖ゲオルギウス)(Sains Iorge 8540; Saint Iorge 8586, 9393; Sains Iorges 8526, 8547,8599,8602;Sains Yorges 8537; Saint Yorge 8814; Yorge 8517) を伴ったのは、旗手役の聖メルキュール St. Mercure (Sains Mercures 9394, Saint Mercurie 8587; Sains Mercuries 9394, Mercurie 8587, ) と聖ドマン St. Domin (Dominste 8586, Domis 8599, Domins 9394)であった。

*3 La Chevalerie, Leon Gautier 1890. 英訳は、Vol.1Henry Frith 1891

奇跡の十字架をかかげるチュルパン (detail)
— 画 Édouard Zier (1856-1924)
題名:"Pendant la Bataille -- La Croix Miraculeuse,"
in Léon Gautier 著 La Chevalerie, Pl. XXI
*上の挿絵は、フランス国立図書館(Bnf)所蔵 Fr. 25529 写本 第65裏葉にある 『アスプルモンの歌』の文章にちなんで作画されたものである。

Sources:

Links:

  • HOME > Fantasy Items Index > シャルルマーニュ伝説 >