HOME > Fantasy Items Index > ケルト神話 >

Crimall クリヴァル[?] 【武器:槍】 【アイルランド:フィン伝説群】

[所有者]
コルマク・マク・アルト
Cormac mac Airt [アイルランド語]
伝説上のアイルランド上王。年代記によれば在位 227 - 266年。 ⇒コルマク・マク・アルト の頁を参照。

[槍]
(1) 《ブレオン法典》(《アキルの書》)の一文
Crimall the "Blood-spotted" (O'Curry 編訳 Anc. Laws of Ir. III, 原文 p.82 英訳 p.83,5 = 《アキルの書》Lebor Aicle C.893 から補填した《ブレオン法典》の一部= = TCD MS 1433 写本 (旧 E. 3. 5写本), p.21?)*1
[語義:: (語釈1)"blood-spotted"「血まだら」 ? < cru 「血、血みどろな様」 + ball 「斑点」。
オカリーはなぜか注釈では「飾りたてた槍」 "ornamented spear" の意味だとしている (O'Crurry 編訳『Anc. Laws of Ir.』 III, p.82 脚注 4)が、 他著の講義集においてはやはり 「血みどろの槍」 "bloody spear" (O'Curry 著 『MS. materials』 p.48*1a), (O'Curry 著 『Manners and Customs』, ii. p.326*1b) としている。]

(2) 「タラでのコルマクの失明」Coecad Cormac i Temraig (TCD 1336/旧H.3.17 写本)
= version h of the Expulsion of the Dessi

"Crimall of Birnbuadach" (summarized by Hennesey, in Mesca Ulad, p.xiv; TCD MS 1336 写本 (旧 MS H 3.17写本), 723欄)

(3) T. F. O'Rahilly, 著「Early Irish History and Mythology」
in crimall Birn Buadaig "the crimall of Bern Buadach" (O'Rahilly, EIHM, p. 65) *3
コルマク・マク・アルト の槍の名と伝わる。

 槍によるコルマクの失明と王座の譲位のいきさつは、話、年代記、法典(裁判例の物語)などさまざまなかたちで伝わるが、 しかし、この槍名はそのうちごく一部にのみ伝えられる。

 その一例が、「ブレオン法典」"brehon laws" の欠損部分を、《アキルの書》からおぎなった文章で、 そこにコルマク王に関する記述がある。
[* コルマク王は、名奉行のほまれたかく、その裁判例集なども、法典に記述される対象となるのである。
 しかるに、アイルランドでは周知の通り、身体に何かの障害があると王位を遠のかなくてはならない。  よって名判事のこの王が失明して譲位しなくてはならなかったことは、一大事件として扱われるのである。]

 さてその法典によれば、デシュ(デッシ)一族のオェングス Oengus, Angus は、上王コルマクの息子に 遺恨があり、これに直面して報復するつもりだった。しかし王宮には丸腰でなければ通されなかった。 そこで、何食わぬ顔をして入り、王自身の槍クリヴァルを棚から掴みざま、王子を一撃で殺した。 ところがそのとき、槍の縁が王の目をこすって失明させてしまったのだ。 恐ろしき槍のオェングスと恐れられるようになったという。このときの王の槍の名がだった。

 この事件は物語版では、違った伝え方をしている。王の槍名は記述されず、また、王子を襲った槍も、 オェングスがもともと携えていた自前の槍だとする。
 オェングスの槍には鎖がついており、王子を襲ったときにその鎖が飛んできてコルマクの眼をつぶしたという。 一部稿本によれば、反動で返ってきた槍の石突が当たって王の酌人/侍従長が死んだという。
 鎖は2本または3本ついており、各本に一人/三人が必要であったという。これは、 一人/三人がかりで持たなくてはならないという意味にもとれるが、いったん取り出すと、 一本あたり一人/三人を犠牲にしないとおさまらない呪われし槍と解釈もできるようである。
 槍の鎖は comla 「弁」または Laud 本ではcroumlaib (=? crom 「鉤、曲がった」 + lúb 「環」)と呼ばれる部品 につながっているとされ、編者クノ・マイヤーは、これは軸で回転するリング状の取手ではないかと推察する。

 また、オカリー講義集の編者で序文執筆者サリヴァン*3 などは、 コルマク・マク・アルトがのち得た槍の名がガイ=ブアフネッハ(?) Gae Buaifnech すなわち「毒槍(?)」だとしている。
 しかし、これはむしろ槍名ではなく、オェングスの綽名とみるべきだろう。ちなみにオェングスの綽名は、どの稿本にも 必ず記述されているが、以下列記するとおり、十あまりの綴りがあって、正しくはどういう意味の綽名だと解釈するばよいのか、 不明になっている。
 語形としてはbuadach「勝利の〜」を意味する、と考えるのが有力だと思う。

(+)
§ クリヴァルとケルトハルの槍ルーン、ルーの槍「イチイ」は同一の武器?

ヘネシーが別の作品に関連して、その内容をかいつまんで紹介したある文章*2 によれば、「コルマク・マク・アルトの時世の、ビルンブアダッハの[槍]クリヴァルは、.. ダナーン神族の長 ルー・マク・エスリウの時代には<森で名だたるイチイの木> ibar alai fhidbaidha という名で知られ、 コナレ・マク・ネッサの時代には、<ケルトハルの[槍]ルーン>と呼ばれていた。
 つまり、三つの武器はそもそも同じ代物だというのである。
[* 上で「ビルンブアダッハ」というのは、「ビル・ン=ブアダッハ」(「勝利の串/棒」)と解釈でき、 つまり「ガエ・ブアダッハ」を言い換えたもので、オェングスの綽名のまた違った変形である。]

 ヘネシーの文章は、以下に引用して邦訳をつけるが、英文 wiki のLuin of Celtchar の項に誰かが提供した情報がただしければ、このテキストは、いまだにきちんと編集・出版されていないらしい。
 だがヘネシーによれば、この三つの槍を同じだとする文章の出典は、"TCD H.3.17, 723欄"だという。 これは現在はトリニティーカレッジ・ダブリン(TCD)所蔵1336写本であるが、カタログによれば、「ブレオン法典」と題する写本である。 また、 723欄という箇所は、「デッシ一族の追放」のh本(クノ・マイヤーによる略号)の直後の場所に 書写されていることを意味する。
 残念ながら、マイヤーは「デッシ一族の追放」のH本(大文字)のテキストを、 際に、h本の異表記をところどころ脚注したのみである(Anecdota I 巻収録)。

クリヴァルとケルトハルのルーンルーの槍が同一だという伝承は、 Sullivan による O'Curry 講義集の序文 *2a や、A.C.L. Brown の論文で *2b 再考されている。

[槍の使用者(の綽名)]
〜ガイ=ヴーヴタッハ? (現代発音 ブーファッハ?) (『四大家の年代記』)「自慢たらたらの槍の〜」(?)

(1) ブレオン法典」の逸失部分の、《アキレの書》による補遺

ガブーデッフ[?]/「勝利の槍の」(?)
Aengus Gabuaidech [愛] Aenghus Gab[h]uaidech [英]; (「《アクレの書》Lebor Aicle 《トリニティー大学 E. 3. 5 写本》、O'Curry 編訳)*1
[* búadach 「勝利の(victorious)」]
[*『Anc. Laws of Ir.』の訳本では "h" が入り、 O' Curry 著本『MS Materials』では"h"が欠ける。]

ガイ=ブーフェッフ[?]、「毒槍の〜」(?) (O'Curry 解釈)「自慢家の〜」(?)
Aengus Gai-Buaifech "of the poisoned spear" (『アクレの書』の断片異本。《王立アカデミー 35.5 写本》)*1
[* <? búafad 「自慢、鼓舞」?。辞典を引いても毒という意味は出ていないが、 《赤牛の書》にある "Óengus Gai buafnech .i. gai nemnech" という解説から、 buafnech = nemnech 「毒」 とみなしたものであろう。 ]
[* Ængus Gae-buaifnech, Ængus "of the Poisoned Spear" (O'Curry 著本『Manners and Customs』 II. p. 205、同書 Sullivan による序(第1巻) p. ccccxxxi 脚注 758)。"Gai Barabrech" ( O'Curry 編の『トゥレンの息子たち』"Children of Tuireann," 「Atlantis 誌」IV, pp.163-4 脚注 147.]

(2) 『デッシ一族の追放』

ガエブーヴセッフ[?] 「恐ろしい槍の〜」 (Kuno Meyer 解釈)「自慢屋の〜」
Oengus, Hoengus Gæbuaibthech "Oengus of the Dread Lance" (『デシュ族の追放』Rawl. B 502》 & 《Laud 610》 写本)*2
[* búibthech "boastful, arrogant(DIL)" 「自慢っぽい、高慢ちき、横柄」]
[* Meyer の原文と訳は一致しない。後述するHayes 訳フォーマスターズの表記"Gaibh-uaithbheach"かそれに近い 表現に訂正して意訳したと思われる。]

Aengus gaibuaibtheach, gaibuaibteach (H本 、Meyer 編Tucait indarba na nDéssi, = TCD 1317 旧 H.2.15 写本, pp.67a-68b., Anecdota i, p.15,24) 異本 Aengus buaifteach (h本、Meyer 編同書, p.24n = TCD 1336 旧 H.3.17 写本, col. 723a) *3

Aengus Gaibuaibthech (Meyer 編 "The Expulsion of the Déssi" [De causis torche na nDéisi innso], Laud 610 写本)*4

Óengus Gai buafnech [.i. gai nemnech] Óengus Gaíbúaibthech, that is a virulent spear (Hull 編訳 "Expulsion Of The Déssi" 《赤牛の書》Lebor na hUidre)*5

(3) 『フォーマスターズ年代記』(四大家の年代記[?])

Aengus Gaibhuaibhtheach Aenghus Gaibhuaibhtheach [英訳] (O'Donovan 編『Annals of the Four Masters』)*9

ガヴ=ウースヴァフ[?]/「恐ろしき槍の」(?) aonghus Gaibh-uaithbheach Angus of the terrible spear (Standish Hayes 訳『フォーマスターズ年代記』からの引用。 Diarmuid Oss. Soc. III, Appendix.) *6a

[úathbáas, uathbháth 「恐怖、戦慄」 >úathach「恐ろしい、おぞましい」]

(4) 『墓地の歴史』
Engus Gai-buaiṗneċ Engus Gaibhuaiphnech [英] (Petrie 編訳 Senchas na Relic (History of the Cemeteries) 《赤牛の書》Lebor na hUidre) [* この『墓地の歴史』によれば、眼の負傷の二年目に、鮭の骨が喉につかえて死んだことになっている。]

(5)ブライアン・ボルに関する匿名詩

Óengus dárb ainm Gai Bolce "Oengus.. also called Gaí Bulga" (Bórama に関する読み人知らずの師 (《レンスターの書》 375 葉), O'Rahilly, EIHM, p. 64 で引用) *6

(*) Other
Angus "of the terrible spear" (Mackillop 著 『Dict. of Celtic Mythology』)
[語釈:gae [古アイルランド語] 「槍」 + búadach [古ア語] 「勝利の〜」 // búaibthech [古ア語] 「自慢屋の〜」 //
bua[i]fnech という単語・語義は確認できず。]

上述のとおり、コルマクを襲った輩の名。そのとがで、オェングスが属するデシュ一族は南方へ追放となった。









*1 O'Curry, Eugene 編訳 Anc. Laws of Ir. III. 引用文など後述。

*1a O'Curry, Eugene 著 MS. Materials (1861) p.48

*1b O'Curry, Eugene 著Manners and Customs (1873), p.326 [copy]

*2 Hennessy, William. M., 編訳 "Mesca Ulad; or, the Intoxication of the Ultonians" Todd Lecture Series 1 (Dublin 1889), introduction, p.xiv [books.google] | [IArchive] 本書は『ウラドの武者たちの酩酊』の編訳であるが、この作品のなかに、ドゥブタッハの槍について、 『ダ・デルガの館の崩壊』と酷似する描写がある。よって編者ヘネシーはその序文においてこの槍について詳述し、 <トリニティー大学所蔵、旧H.3.17写本の第723欄>によれば、<ドブタッハが借りたケルトハルのルーンは、 もとは長腕のルーの槍「イチイ」であり、のちにコルマク王のクリヴァルであった>と英文で簡潔に紹介している。

*2a サリヴァン(William Kirby Sullivan, 1821-1890) は、O'Curry の遺稿 『Manners and Customs』(全3巻)(1857 年)の編者 であるとともに、同書の第1巻まるごとをしめる序文(解説文)をあらわす。その序文である第I巻、 ccccxxxii 脚注 (1871年)。ドゥブタッハ Dubthach の槍がケルトハルの槍ルーンや、コルマク王のクリヴァルと同一だと考察する。 そのなかでコルマクの槍名をガイ=ブアフネッハだと誤認している(ガイ=ブアフネッハは槍名でなく使い手の綽名)。 (これについては、ルーンのページに引用文を掲載することとする)。

*2b Arthur C.L. Brown 著 "The Bleeding Lance", p.23, 23脚注, 42, 53 Publications of the Modern Language Association (PMLA) XXV, 1 (1920年) [snippet]。 この論文もクリヴァルについて詳しい。ブラウンもまた、クリヴァルとケルトハルの槍ルーンの同一性をを説く。 引用文は、コルマックの頁に掲載。

*3 T. F. O'Rahilly, Early Irish History and Mythology, p. 65 [snippet]。 スニペットで発見したので、その典拠が判明していないが、いちおう記述することにした。







































































----- 槍の使用者 ------
*1 『Anc. Laws of Ir.』 p.82, 脚注 4 では(おそらく O'Curry による)補足説明としてこうある:
Aengus Gabhuaidech. He is sometimes called Aengus Gai-Buaifech, as in C. 893, i. e. of the poisoned spear.
このように、《アクレの書》にはあだ名の綴りが二通りあるが、1つめは同書で底本にもちいているトリニティー大学所蔵の E. 3. 5 写本のもの。2つめは王立アカデミー(R.I.A.)所蔵の 35.5 写本のもので、 "C 893" というのは、 O'Curry 教授による手書きの複写の p. 893 の略号(これは に説明されるとおりである)
 一つ目のあだ名「オェンガス・ガ=ブゥーデッハ」に含まれる形容詞 bhuaidech [所有格] は、búadach [古ア] "victorious" 「勝利の、勝利した」に近いと思われるが、誰も注視していない。(同書の第6巻 p.113の用語集にあるなかではbuaid = "victory" と buaidred "disturbance"が近い。)。
 二つめの異綴りのあだ名「〜ガ=ブゥーフェッハ」は、O'Curry によれば「毒槍の」の意味とのことだが、この定義は辞書等で確認できていない。おそらく《赤牛の書》の『デシュ族の追放』の文章をもとにした、うがった推察なのではなかろうか。

*2 Meyer, Kuno, "The Expulsion of the Dessi"。 Y Cymmrodor 14 (1901), p.101-135 [底本はオクスフォード大学ボドレイアン図書館所蔵 Rawlinson 502 写本 (より古いA系本には、 Rawl. 502, 512 写本 Laud 610 f. 99b2-写本が含まれる)] [books.google]

*2a クノ・マイヤーは、形容詞を→úathbásach, úathach [古ア] "dreadful, horrible" または adúath [古ア] "dread, horror" 「おぞましい、恐ろしい」に 校正したらしい。(次注を参照)

*3 Kuno Meyer, 編 Tucait indarba na nDéssiAnecdota from Irish Manuscripts, vol. i., pp.15-24 所収。 [B 系本(成立がより若いテキスト系統)。底本は H.2.15, pp.67a-68b. (H)で、 H.3.17, col. 720b-723a (h) の異表記を脚注。] [books.google] [IArchive]

*4 Kuno Meyer 編訳"The Expulsion of the Déssi" in Ériu 3 (1908), 135-142 [Bodleian 図書館 Laud 610写本 第99b2-102a2葉] [books.google].

*5 Vernam Hull 編 "Expulsion Of The Déssi" ZCP 57; 以下詳述。

Hull も原文の渾名と訳の渾名が違っている。 《赤牛の本》原文ではbuafnech が使われ、これはO'Curry がいうところの buafnech 「毒の」に近い 。ところが Hull は英訳ではこれを búaibthech (OIr. "boastful". cf. adj. búafad 「自慢したがり屋の〜」) に置き換えており、 そちらは『フォーマスターズ年代記』の綴りに近い。

*6 O'Donovan ed.,編訳 Annals of the Four masters 57; 『フォーマスターズ年代記』は通称で、アイルランド題名を直訳すると『アイルランド王国年代記』。 これを手がけた四人をとりあえず「四大家」と訳す。

*6a Hayes, Standish, ed., tr., Pursuit after Diarmuid.. in Ossianic Society volume 3 (Dublin: John O'Daly 1857)。 この書の付録 Appendix にフォーマスターズ年代記からの引用がある。
本書の本体は、『ディアミドトグラネの追跡』と『コルマク・マク・アルトの冒険』の、いずれも近代版テキストの収録である。

*7 Petrie 編訳Senchas na Relic (History of the Cemeteries) 、Transac. R.I.A. 20, p.97- [archives]

*8 T. F. O'Rahilly 著。前述。

§ Book of Aicill (10 世紀?) 伝コルマク王の著

 この逸話は、いわゆる《ブレオン法典》"brehon laws" に収められるが、 「大いなる伝統(判例集)」 Senchas Mór ではなく、 『アキルの書』Lebor Aicle, "The Book of Aicill" にみつかる。

 この書の名は、コルマクがそれを執筆した地名から取られたということである。そのアキルとは、 アイルランドの王都タラに近い現今のスクリーンの丘 hill of Skreen らしい。コルマクにこうした判例集をしたためる余暇が出来た理由は、それは隠居を余儀なくされたからである。アイルランドの慣習では、五体満足でなければ王の資格が無いが、「恐ろしい槍の」オェンガスによって片目を失った。王位は息子のコルブレに禅譲した。

 『アキルの書』には、片目を失明した様子が語られている。じつは最初に悪さをしたのは、コルマクの息子で、一族の娘をかっさらい、しかしながら横柄に構え、きちんと償うことをしなかったので、オェングスが報復手段に訴えたのである:

acht do ċuaid reime do indsaigid na Temraċ ocus iar fuineḋ ngreine ro siacht co Temraig. Ocus geis do Temraig airm laich do breith indte iar fumed ngreine, aċt na hairm do ecmaitís indte [budein]. Ocus ro gab Aengus in crimall Cormaic anuas da healċaing, ocus tuc buille di a Cellaċ mac Cormaic, cor marbustar he; cor ben a heochair dar suil Cormaic co ro leṫ ċaech hé; ocus ro ben a hurlunn a ndruim rechtaire na temrach aca tarraing a Cellaċ, co ro marbustar he. Ocus ba geis rig co namim do biṫ a Temraig.
Ancient Laws of Ireland III, "lebar aicle"p.82
.. しかし[オェングス]はテヴァル(王都タラ)の方向へ突き進み、日没後にタラに到着した。 タラでは日没後に勇士の武器を持ち込むことは禁じられていた。 よって、館内以外には武器などありえなかった。 オェングスは、コルマクの クリヴァル「飾りたてた(豪華な拵えの)槍」を棚から取り、コルマクの息子ケラッハに一撃を与えて殺してしまった。槍の縁はコルマクの片方の眼球をかすり、破壊した。そしてケラッハから抜きとる際、柄がタラの宮内の長官の背後に当たり、死なせてしまった。ときに、なにか障碍を持つものがタラで王であることは禁じられていた。
"Book of Aicill", 英訳より p.83,85

 コルマクは隠居したが、法の適用や例外についてたびたび息子に相談されたので、その対話がこの書に記録されたということである。
 オェングスのおかしたごとき大罪に、いかなるエリク(賠償)を課すかなど前例などなく、 適法が無くば「その者に帰すべき権利は、その者の力相応であるべし」とされていた。 この場合、被害者は王族であったので、それが妥当と思う賠償を何とでも請求できたのである。よってオェングスの一族は南方へ追放となり、流謫の民、デシュ族となりはてた。

    編者である O'Curry は、別著 『Ancient Manuscripts*2 では、クリヴァルという名の意味を、上とはうってかわって 「血みどろの槍」 "bloody spear" だとしている。
*1 Ancient Laws of Ireland: Senchus Mor (conclusion) being the Corus Bescna or Customary Law and the Book of Aicill, (Dublin : Printed for H.M.S.O., published by A. Thom ; London : Longman, Green, Longman, Roberts, and Green, 1865-1901.), vol.3 (of 6 vol.), [編者:O'Donovan, John, 1809-1861, O'Curry, Eugene, 1796-1862, et al.]

*1a同書、用語集(Glossary), vol. 6, p.189, "Crimall, ornamented spear; III. 82, 17 [cf. H. 3, 18, p.67] crumall i.e. faobar]"





















*2 O'Curry, Eugene, Lectures on the manuscript materials of Ancient Irish History, p.47- 48

§ TCD MS. 1336 (旧 H 3.17)写本 col. 723 欄の文章

 この一片のテキストに書かれているのは、コルマクの槍クリヴァルも、ケルトハルの槍ルーンも、 長腕のルーの槍も、もとはといえば同じ物品だったという、アイテム学的に非常に気になる文章である。
 残念なことに、この箇所がきちんと編集されて出版されたことはないという話である。
 唯一刊行されているのは、ヘネシーが別の作品によせて書いた序文で、この箇所の内容を紹介したくだりである。 少し長めに引用・訳出する:

"Not less curious is the account given at pp. 37, 39, of the terrible weapon called the Luin (or spear) of Celtchair, who is mentioned at p. 33 as one of the chief actors in the midnight tumult of the Ulidian bands. This Luin is the most celebrated of the warlike weapons alluded to in Irish stories, historical or legendary. It is referred to in the Brudin da Derga [Leb. na h-Uidre, 95, b), where it is stated to have been found in the battle of Mag Tured : signifying, in other words, that it had belonged to some chief of the mythic Tuatha-de-Danann race. From that remote period to the time of Cormac Mac Airt, in the 3rd century of our era, the Luin is reported to have been in the possession of successive heroes, under various names. Ac- cording to a Tract in the ms. H. 3. 17 (T. C. D.), col. 723, the formidable weapon is said to have been known by the name of ibar alai fhidbaidha (" the famous yew of the wood," in allu- sion, perhaps, to its haft) in the time of Lug son of Eithliu, a chief of the Tuatha de Danann ; whilst it was called the ' Luin of Celtchair ' in the time of Conor Mac Nessa, and the ' Crimall of Bimbuadach ' in the time of Cormac Mac Airt, who was blinded by a thrust of it, and therefore disqualified for the kingship of Ireland. In the account of the blinding of King Cormac, in Leb. na h-Uidre (p. 53), the spear by which he was blinded is named a gai buafnech, or " poisonous spear." But a comparison of the accounts of this event leads to the conclusion that the Luin 1 of Celtchair was really the weapon which, in the hands of Aengus, is alleged to have done the mischief.


1 In the Introduction to the Book of Aicill, however, the name of the spear by means of which King Cormac was blinded is called Crimall Cormaic. See the Preface to the Book of Aicill, in the ms. E. 3. 5 (T. C. D.), and Ancient Laws of Ireland, vol. iii. p. 82."
Hennessey, introduction, p.xiv, Mesca Ulad in Todd Lecture Series I, (1889)
それにも劣らず興味深いのは、[本書『ウラドの武者たちの酩酊』] pp. 37, 39 にある、 ケルトハルのルーン(あるいは槍)と呼ばれる恐ろしい武器の記述だ。 そのケルトハルは、ウラド(アルスター)軍団の真夜中の騒ぎ p.33 の主要人物の ひとりとして登場している。このルーンは、アイルランドの物語群で言及されるなかでも、 史実上・伝説上ふくめてもっとも祝福された兵器である。『ダ・デルガの館(の崩壊)』 (《赤牛の書》95b)でも言及され、そこではマグ・トゥレドの戦[場]で発見されたとなっている。 これは言い換えれば、神話のダナーン神族の長のひとりの持ち物だったことを示唆する。 その太古の時代より、コルマク・マク・アルトの時代(西暦3世紀)に至り、 ルーンは、その槍名を変え、代々の英雄たちの手に渡ってきたという。 H. 3. 17写本(トリニティー大学ダブリン所蔵)の723欄によると、 この強大な武器は、ダナーン神族の長ルーグ・マク・エスリウの時代には、 イヴァル・アラ・フィズヴァザ (「森の顕著なイチイの木」、あるいはその柄の言及か)と呼ばれ、 コナレ・マック・ネッサの時代には「ケルトハルのルーン」と呼ばれ、 コルマク・マク・ネッサの時代には、「ビヴアダッハ[?]のクリヴァル」と呼ばれ、 コルマク王はその突撃で失明し、アイルランド王位の資格を失った。 《赤牛の書》にみえるコルマク王の失明についての記述(『デッシの追放』? p. 53)では、 コルマク王を失明させた槍はガイ・ブアフネッフとつまり"毒槍"と称される。 だが、この事件についての記述を比較するなら、アェングスが手にしてこの椿事をしでかしたとされる 武器は、じっさいケルトハルのルーン1 だったという結論に達することができるのである。


1 しかし《アキルの書》の序文によれば、コルマク王を失明させた槍はクリヴァル・コルマクと称した。 《アキルの書》の序文、トリニティー大学ダブリン所蔵E. 3. 5 写本、および『Ancient Laws of Ireland』, vol. iii. p. 82 を参照
Hennessey, Mesca Ulad in Todd Lecture Series I, (1889)、序文 p.xiv

§ 文献と写本について

当該の写本 TCD 1336 (旧 H. 3. 17) には、「ブレオン法典その他」という書名が、 同大学の写本目録(カタログ)*2によってつけられている。 つまり、槍名を記すもうひとつの史料、《アキルの書》と同じく、法典に関連する。

TCD目録では、写本に所収される各テキストの内容をおおまか説明するが、 "Col. 720"以降は、 「アイルランド国王コルマ・マク・アルトが、アェングス・ガイ・ブアヴサッハすなわち 毒投槍のアェングスによって失明させられたという記述.. これに続き、その槍自体についての記述、 デッシ一族の追放の記述がある。第 1316写本, p. 67a 等を見よ、」(私訳)とある。

マイヤー (Kuno Meyer) は、『デッシ一族の追放』の稿本を3通りほど編纂し出版しており、 当該写本の稿本も、Anecdd. I, 15 *3 のテキストの異本として見てるはずである。 しかし悲しいかな、底本に使ったのはもう一つの写本(H. 2. 15)で、H. 3. 17本の「タラでのコルマクの失明」のほうは、 *4 ところどころ異表記を脚注しただけであるが、最後は 723 ページで終わっている。 その少し先の部分を、 文章まるごとぜひとも掲載してほしかったものだ。*5.

*1 ダブリン市トリニティー大学 H. 3.17. 写本[現1336写本], 723欄の一文の内容。 Henessey 編 Mesca Ulad: or, the Intoxication of the Ultonians [Todd Lecture Series I (Dublin 1889, pp. XVI + 58) で紹介 [books.google] [IArchive]

*2 Catalogue of the Irish manuscripts in the Library of Trinity College, Dublin (1921) p.125-138 [IArchive]

*3 Kuno Meyer 編 Tucait indarba na nDéssiAnecdota from Irish Manuscripts, vol. i., pp.15-24所収。 [B系本。底本 TCD MS 1316 (旧 H. 2.15a), pp.67a-68b. (H本)。 異本 TCD MS 1336 (旧 H. 3.17), col. 720b-723a (h本)の異表記を脚注] [books.google] [IArchive]

*4 この題は Catalogueでは確認できなかった。Arbois de Jubainville, Essai d'un catalogue, p.90を参照。

*5 TCD 図書館の Multimedia Resource Area, Berkeley Library によれば、当該写本のマイクロフィルム版を所蔵するとのこと。 (もちろん原物もあるわけだが、簡単には複写してもらえないだろう)。 Online Catalog (Stella Search) を検索すれば該当するrecord が、"Brehon law tracts and miscellanea. [microform]" (TCD MS 1336/1-6) (Berkeley Multimedia, Counter Reserve, shelfmark MS MF 548)の一件である。
Irish Script On Screen は現在この写本の画像は掲載していない。

*6 余談だが、Catalogue 上で次"Col. 724"に書写されているのは"Short poem on the history of Cashel, beginning: Caisil atcondarc ané." であるが、これで検索すると、 John Mac Neill, "Early Irish Population-Groups: Their Nomenclature, Classification, and Chronology," Proceedings of the Royal Irish Academy. Section C: Archaeology, Celtic Studies, History, Linguistics, Literature Vol. 29, (1911/1912), pp. 59-114 [JSTOR]が論文としてヒットする。

§ Rawlinson B. 502 "Expulsion of the Dessi" (11-12 世紀).

 前回は法典に挿入された逸話だったが、この有名な話は『デシュ一族の追放』の物語としても 伝わっている。

 このセクションでは、マイヤーがより古い由緒のものとして "A バージョン" と称す方を扱う。 (対して"B バージョン" とは《赤牛の書》等に収められるテキスト群をさす).

 ここではアイルランド王、コルマクの息子コン Conn が、デシュ族の娘フォラド Forad をかどわかして、強姦した。オェンガスは、さらわれた銘を探しに発つ。(注:娘の名や、オェンガスとの縁故関係などはバージョンによって異なってくる)

    1. Cethri maic batar la Harttchorb mac Meschuirb .i. Brecc 7 Oengus 7 Eochuid 7 Forad. Forad dano, mac side cumaile 7 ni ragaib thir, 7 is he ba siniu dib. Nert coecat immurgu la Hoengus.
    2. Bæ dano mac tét la rig Temrach .i. Conn mac Corbmaic. Gabais laim ingine Foraid .i. Forach a [h]ainm 7 fordoscarastar. Forumai Oengus for a hiarair na hingine, co luid hi Temraig. Ni tharraid gabail na slabrad batar ar comlaid na slige; ar ba hécen fer cechtar a da slabrad side dogres. Conḟacca a chomalta for dheis maic ind rig. 'Ni maculammar in clemnas nua sin,' ar Oengus. Friscair mac ind rig: 'Daimthi dail cuind dam-sa! Archena déma-su cen co dama-su.' 'ḟodem cetumus,' ar Oengus. Atróeraid Oengus [d]in tsleig triit. Bi dano indala slabrad suil ind rig, co roemaid ina chind. Intan dosreng in sleig adochum, rodbi fochoir na sleigi triasin deogbaire, conid se conapaid prius. Is arna slabradaib tra ba Hoengus Gæbuaibthech a ainm-seom.
— "Tairired na n Déssi"
(《Rawl. B. 502》写本 72 a ~ 73葉a の題名)
"De causis torche na nDéssi .i. acuis toirge na nDéssi."
(《Laud. 610》写本 99葉b ~ 102葉a の題名)
 1. メスホルヴの子アルトホルヴには、四人の息子がいた、 すなわち、ブレク、オェングス、エフド、フォラドであった。 しかしフォラドは女婢の子で、領地はもらえず、いちばん年長であった。 オェングスは五十人力だった。
  2. さて、王都タラの王には、放蕩息子がおり、この コン・マク・コルマクは、フォラドの娘を力ずくで捕まえ、フォラッハという名の彼女をてごめにした。 オェングスは、この娘を探しにタラへ行った。 このときの戸(「けら首」?)についた鎖をつなぎとめておかなかった。 ふだん、この二本の鎖には、それぞれ一本ずつに、男が一人がかりでつかなくてはならなかったのである。 オェングスは、その養女(「育ててきた姪」?)が王子の右手に座っているのを見た。 「この縁組について、まだ我々は何も聞かされておらんがのう、」とオェングスは言った。 王子は答えた「王族ならではの処遇を頂戴したい!なに、頂戴できないとおっしゃても、 そちらは我慢するほかないでしょうがね。」「ところが、堪忍はできぬのじゃ!」とオェングスは言い、 を貫き通した。すると鎖の二本のうちの一本が王のまなこに当たり、その眼は頭部で壊れた。を引き抜くと、槍の石突(?)[* Meyer "butt end" ; O'Curry "heel-blade"]が献酌係に当たって貫通し、その者は真っ先に死んだ。この槍の鎖がゆえに、男の名は恐るべき槍のオェングスとなった。
— Kuno Meyer 英訳
"These are the Wanderings of the Dessi"より私訳
*1a Kuno Meyer ed., "Wanderings of the Dessi"。 Y Cymmrodor XIV, pp. 101-135.
From Bodleian Library, Rawlinson 502, 512 and Landsdown 610 f. 99b2 mss.
 また、マイヤーはこんなことを述べている「この槍は、自ずからの意思で殺戮し、悪魔にあやつられたというマイロドラン Maelodran の槍カール・ベラグ・ドゥルギン Carr Belaig Durgin を髣髴とさせる。 Hibernica Minora, p.81 を見よ」 -- Cymmrodor XIV p.105 注).

§ Lebor na hUidre [Book of the Dun Cow], "Exile of the Dessi" ] (before 1106)

 では《赤牛の書》(LU)にあるバージョンの『デシュ族の追放』の話から、 おなじ当該の箇所を抜粋してみよう:

CID dia tá cóechad Cormaic hi Temraig Ni handsa fer amnas ro boí dona Déssib Maigi Breg .i. Óengus Gai buafnech .i. gai nemnech co slabradaib. Teóra slabrada esti triar for cech slabraid. Is airi atberthe Oengus Gai buafnech de .i. dígail gres ceneoil dogníd .i. bale i ndénta fingal l^ etualand d'immirt for fannaib ní anedsom so n-indechad. Ruc Cellach mac Cormaic ingin a brátharsom .i. Forrach ingen Soraith .i. meic Artcoirb
Lebor na hUidre, Part 21,
"Tucait innarba na nDessi i mMumain ins & aided Chormaic", 4337-4343
1. ではなぜコルマクはタラで失明したのか? それは語るに難くない。 デシュ族にブレグの子オェングス・ガイ・ブーフネッハという気性の激しい男がいた。その「ブーフネッハの槍」というのは、鎖のついた毒の(害なす)槍であった。槍には3本の鎖が付いており、鎖ごとに3人の人間が付き従った[持った] 。それがゆえ、「ブーフネッハの槍のオェングス」という呼び名であった。すなわち、一族が受けた侮辱は、彼が報復したのである。つまり血縁が殺人に犯されたり、無抵抗の者らが耐えがたき弾圧を受けたりしたら、復讐をとげるまで安んずることなかったのであった。
*1 《赤牛の書》Lebor na hUidre (CELT: The Corpus of Electronic Texts にてオンライン化).

*1aVernam Hull. "Expulsion Of The Déssi." Zeitschrift für Celtische Philologie. vol. 57. Max Niemeyer Verlag, 1957. (Mary Jones さんの Celtic Literature Collective にてオンライン化)

§ Annals of the Four Masters [Annála Ríoghachta Éireann] (1632-6 年)

 『四大家による年代記』の紀元 265 年の記入に、コルマクの王位が終焉となった次第が書かれている:

M265.1

A naoi triocha do Chorbmac.

M265.2

Guin Ceallaigh, mic Chorbmaic, & rē­chtaire Chorbmaic, & súil Chorbmaic budhēin do bhrisēdh d'aen-fhorccom la h-Aengus Gaibhuaibhtheach, mac Fiachach Suighdhe, mic Fēidhlimidh Reachtadha. Ro bhris iaramh Corbmac seacht c-catha forsna Déisibh a c-cionaidh an ghniomha-sin, go ros-tafainn ó a t-tír, conus filid h-i Mumhain.

text Annála Ríoghachta Éireann, Part I, p.116

M265.1

コルマク王の在位39年目。

M265.2

コルマク王の息子ケラッハと、王の執務卿は致命傷を負い、 コルマク自身の目が、エイングス・ガイブーヴァーッハの[槍の]一突きで潰された。 [そのエイングスは、]フィアハ・スィーギェ(?)[*(古)スィーグデ(?)]の子で[フィアハは、]執務卿フェーイリヴィイ(?)[*(古)フェドリヴィド(?)] の子だった。コルマクはこののち、その行いの報復としてデシ族にたいし七戦に勝ち、 彼らをその郷土から追いだしたので、[今では]マンスターに暮らしている。

私訳。(英訳は Annals of the Four Masters Part I, p.117)

 原文の文面では槍が使われたと明記されていないので、英訳では "lance" という言葉を細字にしている。

 年代記を追って読んでいくと、コルマクはこの翌年に、鮭の骨がのどにささって死んだとあり、 それは単なる事故死ではなく、コルマクがキリスト教になびきはじめたのを知った ドルイド僧マイルゲン Maelgenn が放った悪しき妖精(エルフ)の一種、 シャヴラフ(?)[(古)シャヴラド(?)] siabhradh のしわざだったということだ。
*1 Annals of the Four Masters のアイルランド文・英訳とも CELT corpusで見ることができる。

*2 O'Grady, Standish Hayes ed., The Pursuit After Diarmuid ..  (前出)の巻末注 p.301 にも「年代記」からの引用があるが、特筆すべきは、 名が「恐ろしい槍の」エイングス・ガイヴ=ウアフヴァッハであることだ:
"It is stated in the Annals that in the thirty-ninth year of Cormac's reign, his son Ceallach and also his lawgiver were mortally wounded, and the eye of Cormac himself put out with one thrust of a lance, by aonghus Gaibh-uaithbheach (i.e. Angus of the terrible spear) of the tribe of the Deisi Teamhrach. Hence Cormac, having gained seven battles over them, expelled them into Munster.. Cormac obtained the cognomen of Ulfhada, because, after his victories of the Ultonians at the battles of Granard, Struithair, and Crionna fregabhail, he banished numbers of them to the Isle of Man and to the Hebrides"


Sources:

Links

  • HOME > Fantasy Items Index > ケルト神話 >