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Caliburn カリバーン [武器:剣] [アーサー伝説]

当ページでは、アーサーの剣カリバーンの、 ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』における描写をはじめ、 その派生文学である、いわゆる「年代記もの」(クロニクル・グループ) の作品群のなかでの表記・記述をさぐる。
 この作品群には、 頭韻詩 『アーサーの死』、八行連詩 『アーサーの死』も含まれることがあるので、ここでも その慣習にしたがった。また、マビノギオンをはじめ、ウェールズ語の文献もこのページに統合した。

一方、フランス語ロマンスにおいて展開されたアーサー王の剣 エクスカリバーについては、別個のページに 記述することにした。
(まだ未着手なエクスカリバーのページの内容(予定): ボロンが発案したアーサーの王位継承の正当性を証明した<石に刺さった剣>を、 エクスカリバーと同一視して加筆した流布本系『メルラン物語』。それとは対立的に、 <石に刺さった剣>を実戦では力不足な剣だとし、湖の婦人に頼んで得た剣がエクスカリバー だとする続流布本系『続メルラン』(=フス本『メルラン』)。両方の矛盾するソースを 収録しているマロリーの編纂作品。)

【所持者】
アーサー王
King Arthur (一般表記)[英]
Arturus (ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』)[羅]; *1
Artur ジェフリー・ガイマー/ジェフレイ・ゲマール『レストワール・デ・アングレ(アングロサクソン民史)』) [古仏/アングロ=ノルマン語]*2;
Artus (ワース『ブリュ物語』)[古仏/アングロ=ノルマン語]*3
Arður(e) (ラヤモン『ブルート』) [中英語]*4; Arthure (ロバート・オブ・グロスター韻律体『時代記』) [中英語] *5; Arthorghe (ロバート・マニング)[中英語] *6; Arthur(e) (『頭韻詩 アーサーの死』) [中英語];*7
Arthyr (伝・聖ティシリオ作『ブリート』)Arthur (『マビノギオン』) [ウェールズ語]; Arzhur [ブルターニュ語];

【剣】
カリブルヌス、カリバーン等
(1) 非ウェールズの年代記もの
Caliburn [英・一般表記]
[1136年頃] Caliburnus ‹主格›, Caleburno ‹奪格› (ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』)[羅] *1a, 1b;
[1135-40年頃] Caliburc (ゲマール『アングロサクソン民史』)*2a, Calidure (?) (同作品、 Gollancz 編著『ハムレット・イン・アイスランド』 序文の引用)*2b [古仏/アングロ=ノルマン] ;
[1155年頃] Calabrum 9514 Callibourc 10323 Escalibor 11938 Chalabrun 13295 Calabrun 10341 13330 (ワース『ブリュ物語』 Le Roux de Lancy 編 底本=《27 Cangé 写本》) [異本 Caliborne 13311 註(b) 13330 Caliborne 10341《73 Cangé 写本》 ] [異本 Calibore 9514 Calliborc 13295 Escalliborc 13330 (《75153.3. 写本》)] [古仏・アングロ=ノルマン];
*3a
Caliburne 10083 Caliburn 11547 Calibuerne 12891 12910 12926 (同・ Ivor Arnold 編 底本=仏国立図書館 《BnF fr. 794 写本》= 《73 Cangé 写本》) *3b [古仏・アングロ=ノルマン];
[1190年頃] Caliburne (ラヤモン『ブルート』)[中英語] *4;
[>1191] Caliburnum ‹対格(?)› (『ヘンリー2世の事蹟』)*5a, Caliburne ‹主格 (?)› (『ロジャー・オブ・ホーヴデンの年代記』)*5b, Caliburne (『修道士ワルター・オブ・コヴェントリーの回想』(?))*5c[羅]; Calibourne (トーマス・グレー『スカラクロニカ』=『時の階段〔きざはし〕』(?)、 Stevenson 編 p.63 = 《Corpus Christi 133》写本、第170葉)*5d [古仏];
[>1234-7] Caliburnus ‹主格› (ラテン韻文『ブリタニア列王の事蹟』 3150行)*6,
[1270年頃] Calibourne 3616 3638 3841 4457 4573 Calybourne 3633 (ロバート・オブ・グロスター韻律体『時代記』A本)*7 異本: Callibourne Calliborne β, Calebourne α, Caleburne δ, Calyborne ε (同・B本) 異綴り Calẏbourne (同作品、Thomas Hearne 編本, p.174, 175,186, 218 等; Guest 女史 Mabinogion ii., p.322で引用) [中英語];
[1272年より後] Caliburne (アングロ=ノルマン語『散文ブリュ』、 最古バージョン。Marvin 編 p.164, l.1759, f.62r)*8
[1338年] Caliborne 10033 13885 13920(ロバート・マニング)[中英語] *9 ;
[1400年頃] Collbrande 2201, Caliburne 4193 Calaburn 4230, Calyburn 4242 (『頭韻詩 アーサーの死』) [中英語]*10 ;
[1400年頃] Tabourn (中英語 散文『ブルート』または 『クロニクル・オブ・イングランド』 Rawlinson 171 写本, Brie 編 EETS o.s. 131, 第78章) [中英語]*11;
[1428年頃] Brounsteeƚƚ (Brounsteell [特殊文字なしの表記] ; Brownsteel [現代英語訳]) (中英語の詩体"短い写生的"『アーサー』。1428年成立、旧称 《バースの赤書(Liber Rubeus Bathoniæ)》現称《ロングリート・ハウス 55 》手写本の ラテン語散文『ブルート』抄本の本文に挿入された中英詩。 =清水阿や訳注 『英和対訳 中世韻文アーサー物語 三篇』収録の『アーサー』) ; [中英語]*12;
[1470年頃] Caliburne (ワーリン Waurin 『年代記』) [仏]*13,
[語意・語源: 1) ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』に記述される Caliburn は、 ブリタニアの現地人の名前をラテン語化したもの、という考察が定着している。 そのケルト語形の原名がなんであったか、断定はできないが、『マビノギオン』等にみえるウェールズ語 Caledfwlchが、当たらずとも遠からず、と考えられている。 類似した説に、アイルランド伝説の Caladbolog と同義語/同源語で妖精郷から得た 剣名の名残とするものがあるが、いずれにしよ、"カレド○○"(「硬い○○」を意味する)剣名だというのが通説になっている。
2) ジェフリーがカリバーンという音写を充てたのは、ラテン語 chalybs 「鋼鉄」を意識した 語呂合わせとの説が一般に敷衍している。これについて、 近世における最初の提唱者は誰だとか、賛否両論者は、など*1 典拠の考証をするのは多分に骨が折れるが、それはさておこう。なぜなら、 すでに15世紀の文筆家たちの頭のなかにアーサーの剣名を「鋼鉄」と関連づける考えはあったのだ。 剣をブラウンスティールと意訳名した、中英詩Arthur (short sketch)の作者がいるし、 マロリーもエクスカリバーの意味を「鋼鉄を断つ」だとしている。
3) 中英語散文『ブルート』のTabournという変体表記は、 元ソースのアングロノルマン版の誤写と考えられよう。 「打楽器(太鼓)」を意味するtabor[n] という名だと読み違えたのかもしれない。 あるいは、47章に登場するTaberne という人名と混同したか。 この人物は、ジェフリー第5巻第8章ではTrahernusという名で登場するが、 コンスタンティヌス大帝の配下のもので、ブリタニアの王座を簒奪したオクタヴィアンに 殺された人物、またヘレナ皇太后のおじでもあった。]

カレドヴルフ 「硬裂(猛裂、激裂)? 」[ウェールズ語形];
(2) マビノギオン
[1100年頃] xxxxx (『マビノギオン:キルッフとオルウェン』 《リーゼルッハ白書》版、書写1325-1350年頃) [威] ; "[and] Caledfwlch my sword" (同 Gwyn Jones 英訳, p.84) [英]
a chaletu6lch uyg cledyf p.105 = 814 欄 (同作品《ヘルゲスト赤書》版、書写1375-1425年頃 Rhys & Evans 共編) [a]chaletuwlch uyg cledyf /"[and] Caledvwlch my sword" (同・Guest 女史編訳) ,
"Kaledvwlch, mon épée" (同・Loth 仏訳),
"Caletvwlch my sword" (同・ Brown 論文 "Bleeding Lance," p.26);
(3) ブリート
[1300年頃〜以降] XXXXX (《ヘルゲスト赤書》版『ブリート』Rhys & Evans 共編) [ウェールズ語] *1
caledv6ch (『ブリート・グリフィズ・アブ・アルスル』、Myvyrian Archaiology 誌 II, p.305) [ウェールズ語] *2
[未確認] (『王の年代誌(ブリート・イー・ブレンヒネズ)』B. F. Roberts 抄編《Llanstephan 1 写本》 ‹書写13世紀›) [ウェールズ語]
Caledv6lch (伝・聖ティシリオ作『ブリート』、 Myvyrian Archaiology 誌 II, p.305,6; 大英 《Add. 19709 写本》 (?) ‹書写14世紀›) [ウェールズ語]
Kaledvwlch "the hard cleft" (伝・聖ティシリオ作『ブリート』 Robert Jones 英訳; 《J本》=《Jesus College MS. 61 写本》 ‹書写1500年頃›) [英訳]
Caletuulch, Caletuwlch "Caletvulch (Hard-Breach)" 79, 79v, 82v, 89, 93v (『王の年代誌(ブリート・イー・ブレンヒネズ)』 Parry 編訳, p.159。 《コットン・クレオパトラ B. v 写本》第79葉)[ウェールズ語・英訳];
Kaledvwlch (同・異本 《バジングワーク黒書》、Parry 索引。 書写1350年頃)[ウェールズ語]
(4) その他
[1450?年頃] Caledvwlch (三題詩系統『アーサー宮廷の二十四騎士』 Bromwich 編 Trioedd Appendix IV。《 Peniarth 127 写本》、書写 1510 年頃。)[ウェールズ語]
Kaledvoulc'h [ブルターニュ語];
[語意・語源:「硬い」+「裂傷(分断)」等 "hard cleft" (Roberts), "Hard Breach" (Wilhelm), "Hard-Notch" (Padel)]
アーサー王の剣⇒エクスカリバー の名の異形。

§ 起源
ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』に登場するカリバーンが、 アーサーの剣名としては、確実なところでは、文献史上初出であろう。しかし、ジェフリーは名前をラテン語化しており、 実名はウェールズ語かブルターニュ語の名前であったと憶測される。
 この点、アルスル王の剣「カレドヴルフ」が登場するウェールズの物語『クルッフとオルウェン』がかなり古く、 950年や1100年頃の成立とも言われるが、ただ、それはあくまで原形とか初稿の段階での話である。 実在するテキストは、もっとも古い筆写でも、1400年頃の写本のものなので、 その古い時代から剣名まで言及していたとは断定できない。

 ジェフリーの第9章4節で、サクソン人が、バース市のあたりの丘を陣取った合戦(≒バゾン山の戦い)を控えて、 アーサーが、次のような武具を纏っている: 王に相応しい鎧(ロリカ)、竜をかたどった黄金の兜、内側に聖母マリアの像が描かれた盾 プリドウェン(プリウェン)、アヴァロンでこしらえられたブリテン最上の剣カリバーン、 そしてロンという槍(ランス)。この合戦で、アーサーは、カリバーンを振るい470人の サクソン兵を殺している。

 ヨーロッパ大陸遠征では、アーサーはガリアの護民官フロロと一騎打ちし、 カリバーンの一刀のもと兜割りで斃す 。
 ブルターニュのモンサンミシェルの丘の巨人と戦った際も、アーサーは剣を使っているが、 ただ、そこでは剣名は明言されていない。
 皇帝属吏ルキウスとの総力戦でもアーサーはカリバーンを振るが、ルキウスは、槍で討ち取られ、 手柄は誰のものか不明だった。

 ジェフリーの大作によれば、剣がこしらえられた場所がアヴァロンであって、カムラーンの戦いで 重傷を負ったアーサーが、アヴァロンに去っている。第10章2節。
 ジェフリーの後年の作品『マーリンの生涯』では、負傷のアーサーがいきついた場所は、「林檎の島」 となっているが、これがアヴァロンであることは疑いない。この作品の中では、 ウェールズの詩聖タリシエンが、マーリンとの対話形式で語りながら、 自分もその「林檎の島」行きの船に同乗し、アーサーが、モルガンの介抱に委ねられるのを目にした、 と言い、また、島にはモルガンを含み九人の姉妹が住んでいたとしている。

 『マーリンの生涯』によれば、マーリンはたびたびの発狂の発作をおこし、王たる地位を捨てて、 野生に帰ろうとした。なんとか逐電しないように、義兄ロダルクス(=気前よしのリゼルッフ)は、 様々の品をプレゼントしたことがあったが、そのなかに、グイランドゥスという、 鍛冶師ウェイランドによく似た名の人物が彫刻した一式の杯があった。 この人物が彫刻をおこなった場所は、ウルブス・シゲヌス つまり「シゲヌムの都市」とあり、 これはカルナルヴァン近くのセゴンティウムの古跡と推定される。後の預言のくだりのなかでも、 同市の名前が出てきて、廃墟となった古い塔であるとされているのだ。
 おそらく、ここに鍛冶師ウェイランドらしき人物が登場したことが土台となり、後々の脚色では、 ウェイランドの息子らしき「ウィテゲ」が、今度はアーサーの鎧師という役割で登場する結果と なったのではなかろうか。

§ 最初の口語での訳出(古フランス語の韻文訳)
 ジェフリーの『ブリタニア列王史』は、たちまちヨーロッパじゅうで人気を博した。 しかしそれは学者や神職者の言語であるラテン語で書かれていた。位階をとわず、 専門家でない一般人は、一般語への翻案を求めた。最初の例は、当然ながら、 当時のノルマン朝英国の言語、つまりアングロ=ノルマン語である。古フランス語の方言と見ていい。

 仮説として、もっとも早い翻案だった可能性として挙げられるのが、ジェフレイ・ド・ゲマールが 執筆したと想像される幻の『レストワール・デ・ブルトン(ブリテン人たちの歴史)』である。 ただ、それは果たして実在したどうか、つかみどころのないものである。 ゲマールの作品として現存する『レストワール・デ・アングレ(アングロサクソン民史)』(1135-40年頃)には、 アングロサクソン人系の初代王ハヴェロックの一世代前は、 「剣カリビュルクを所有したアーサー」が君臨したことが 明記されており、このことから、もしやゲマールはその前史も執筆したのではないかと憶測されたのだ。 [* 一世紀以上前の学界では、こうした作品の存在説を唱えることも、あながち無駄ではなかった。 随所に散在する古文書がまだまだカタログ化されておらず、某作品の某言語版等が、ひょっこり見つかることなども、 ままあったからである。]

 この仮説はさておき、現存する最初の口語訳は、ワースの『ブリュ物語』(1155年)だ。 これは、アーサー伝説に最初に「円卓」というものを取り入れた文学としてしられている。 the work that introduced the concept of the Round Table. Here there is a modest amount of coloration regarding the king's equipment: Arthur's dragon-helm is given the pedigree of it being passed from his father Uther (no doubt from Uther's byname Pendragon construed as "head of dragon").

 この作品を中英語で起こしたラヤモンは、さまざまな脚色をおこない、 アーサーの鎧をウィテイェがこしらえたその名もウィガー、兜を父王ウーサーから相続した ゴスホウィト「雁白」と記している。[* アーサーの兜は、竜を模したものだったので、 「竜の頭(ペンドラゴン)」の異名をとる父王と、つい関連づけたくなるのも道理である。]

ウェールズのマビノギオンに収録される物語『クルッフとオルウェン』では、主人公 クルッフに助けを請われたアルスル(=アーサー王)は、「剣カレドヴルフ等々以外であれば、 なんなりと所望せよ」と言うくだりで、剣、盾、槍、短剣の名があかされる。また別の箇所で その船(プリドウェン)、犬(カヴァル)、馬(スァムレイ)も登場する。
マビノギオンの別の物語『ロナブイの夢』では、アルスルの剣(すなわち「カレドヴルフ」と目される剣) は、2匹の蛇をかたどった黄金のこしらえがついている。 (アーサーのマント⇒グウェンの登場する箇所)

当ページでは、便宜上、同じアーサーの剣でもカリバーン系統の剣名が 登場する作品のみを対象とする。
すなわちジェフリーの著した偽史とその諸訳書をはじめ、いわゆる「時代記系統」"Chronicle Group"の 創作(頭韻体「アーサーの死」など)、そしてウェールズ語のマビノギオン等を おおよその範疇とする。

【盾】
(0) アーサーが携えたマリア像(ただし盾ではない)
[xxx年頃]

(1) プリドウェン
[1136年頃] Pridwen (ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』) [羅];
[1155年頃] Priven (ワース『ブリュ物語』) [古仏];
[1190年頃] Pridwen (ラヤモン『ブルート』)[中英語];
[1270年頃] þrydwen 3612行 (ロバート・オブ・グロスター韻律体『時代記』A、B本) [異本:Prydwen (同D本》)[中英語] ;
[1338年] Pryd-wenne 10046行 (ロバート・マニング《Lambeth 写本》) [異本:pridwen (同《Petyt 写本》)[中英語] ;
[1470年頃] Pridgem (ワーリン『年代記』p. 362) [異本: Pridguem (同・B本) Pridgenon (同C.2.本) [仏]
[1300年頃〜後世] pryd6en ((『ブリート・グリフィズ・アブ・アルスル』、Myvyrian Archaiology 誌 II, p.306) pryd6enn (偽伝・聖ティシリオ作『ブリート』、Myvyrian Archaiology 誌 II, p.305) Prydwenn (偽伝・聖ティシリオ作『ブリート』 Robert Jones 英訳) "祝福たる容姿/形〔なり〕" [ウェールズ語];

(2) ウィネブ・グルスヴッヘル
xxxxx (『マビノギオン:キルッフとオルウェン』《リーゼルッハ白書》); Wynebgwrthucher (同 Gwyn Jones 英訳, p.84) [ウェールズ語]
wyneb g62th­ucher uyn taryan (同作品《ヘルゲスト赤書》 Rhys & Evans 共編)
wyneb gwrthucher uyn taryan "Wynebgwrthucher, my shield" (同・Guest 女史編訳);
"Gwyneb Gwrthucher, mon bouclier" (同・Loth 仏訳),
"Gwyneb-gwrthuchr my shield" 同・ Brown 論文 "Bleeding Lance," p.26).
Gweneb-Gourzhuc'her [ブルターニュ語]
[Wynebgwrthucher 「宵の顔」"Face of Evening" (Wilhelm); 「宵への顔」"Face to evening" (Padel); ]

As with the sword, Geoffrey of Monmouth is the first to record the name Pri[d]wen for Arthur's shield, which had the image of the Holy Mary depicted on the inside of it to serve as constant reminder during battle.
Geoffrey's original Latin does not make it explicitly clear if the picture of Mary was a painting or some other type of artwork. But some redactions of Wace and Robert of Gloucester say it was "painted". Whereas Layamon say it was "graven in red-gold figures". The Welsh translators also diverge. The RBH version somewhat concurs with Laymon, saying that both the dragon-helm and the image of the Lady Mary was yskythedric, although the word can mean both "engraving" and "chasework". The Cleopatra version of the Welsh Brut does not use this verb, but says that Lady's name ysgrivennedic "inscribed" as well on the shield which had her image on it.

Welsh sources identify Pridwen "Fair Form" not as the name of Arthur's shield but rather see it as the name of Arthur's ship, from their ancient lore. Although some Welsh Brut texts do record Prydwenn as the name of the king's shield, many redactions replace the name with Gwenn "Fair" or simply a tharian wenn "a white shield." The shield is given the more elaborate name Wynebgwrthucher "Fair Face of Evening" in Culhwch and Olwen.

Before Geoffrey described Arthur's shield with the image of Mary, a number of precursor accounts relayed matters rather differently. Nennius (Historia Brittonum) states that Arthur, in his eighth battle (against the Saxons), which took place at Castle Guinnion [* not definitely identified], carried the image of Mary or the Cross on his shoulder*1.
It has been pointed out that there may have occured a confusion between "shoulder" and "shield" (since the two words in Welsh are similar)*2.
The Annales Cambriae for the year ca. 516 said that at the Battle of Badon [* also uncertain location], Arthur carried the cross of "our Lord Jesus Christ" on his shoulders for three days and three nights, bringing victory to the Britons*3.
Meanwhile William of Malmesbury*4 had written that Arthur sewed the image of the mother of the Lord onto his arm.

In Edmund Spenser's treatment (Farie Queene)*5, Arthur bears a shield made by Merlin from a giant piece of diamond (adamant) and was impregnable to spears. It was invincible and encased in cover, which when bared, unleashed a blinding light that counteracted magic and turned enemies to stone.
This cannot pure invention out of whole cloth on Spenser's part, since it is paralled by an earlier account*6 by a fifteenth-century English writer in the Lambeth MS. 84, according to which Arthur destroyed some wild-cats, in a Park in Cornwall [which it said was "near Glastonbury" but crossed out in red. In the margin it says "Park in Torre"]; and here Arthur succeeded by using a polished glass shield which tricked them into attacking the shadows (i.e. their own reflections).
In fact a much older precedent is found in one of the earliest Welsh poems ("Pa Gur?" in the Black Book of Carmarthen), although it is Kay to whom the shield belongs. There it is stated that Kay that "his shield was polished (Y iscuid oet mynud)" against the Cath Palug (the monster cat).
It should be mentioned that past scholars were dumbfounded as to why the shield "polished against" a cat should prove effective, so have resorted to massaging the translation to read "was ready against" or even "was hacked small against (the cat)" (arcanely proposing that mynud must be a loan word from the Latin minutus) *7. 【槍】
ロン等
(1) 非ウェールズの年代記もの
Ron (ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』)[羅] *1a,1b;
"Lance avoit roide de Saison" = 「サクソン人を強硬に追いやらった槍」" 9532 (ワース『ブリュ物語』Le Roux de Lancy 編)
[異本 Roit 《73 Cangé 写本》] [異本 Roil 《75153.3. 写本)》] [異本 Redron (?)《Ste Geneviève 写本》] [古仏]
Ron (ラヤモン『ブルート』)[中英語]; Ron (ロバート・オブ・グロスター韻律体『時代記』)[中英語]; Ron 10051(ロバート・マニング)[中英語] ; Routh (ワーリン『年代記』p. 362) [仏]
ロンゴミアント、ロンギミニアド等
(2) マビノギオン
xxxxx 『マビノギオン:キルッフとオルウェン』《リーゼルッハ白書》; "Rhongomyniad" (同 Gwyn Jones 英訳) [ウェールズ語]
a rongomyant uygg6ae6 (同作品《ヘルゲスト赤書》 Rhys & Evans 共編) [ウェールズ語] [a]rongomyant uyggwaew "and Rhongomyant, my lance" (同・Guest 女史編訳) [ウェールズ語];
"Rongomyant, ma lance" (同・Loth 仏訳),
"Rongomyant, my lance" (同・ Brown 論文 "Bleeding Lance," p.26).
(3) ブリート
Ron II, p.189 = col. 161 (《ヘルゲスト赤書》版『ブリート』, Rhys & Evans 共編),
ron または ron v6chel [[「高らかな槍」 uchel 「高い;そびえる;立派」] (『ブリート・グリフィズ・アブ・アルスル』、Myvyrian Archaiology 誌 II, p.306) [ウェールズ訳]
[* 注:実際には上の二テキストにおける槍に関する文章は、 ほぼ同一で、ラテン語『列王史』の逐語訳である。ただ、後者は、編者の作為か句読点が除去されているため、 解釈が変わってくる。],
Rongymyniat (偽伝・聖ティシリオ作『ブリート』 Myvyrian Archaiology 誌 II, p.306) Rongymyniad (偽伝・聖ティシリオ作『ブリート』Robert Jones 英訳);
ron gymhyniect "Ron Gymhynieit (Spear of Command)" (『王の年代誌』=ブリート・イー・ブレンヒネズ』Parry 編訳) [ウェールズ訳]
(4) その他
[ca. 1450?] Rongo(m)ian(t) (三題詩系統『アーサー宮廷の二十四騎士』 Bromwich 編)
Rongomyant [Bret.]
[語意・語釈:ron = 「槍」を意味するウェールズ語の普通名詞。 正表記をRongyminiad (Myvyrian 編 Tysilio にある形態だが、 編者訂正かもしれない)とするなら、cymyniad 「打撃」 の槍という意味が成立する: "Lance Hewer" (Wilhelm *1); "Spear-striker" (Padel*2) の説が これに与するもので、「打ち手の槍」の意味だというネットの流説もこれに派生したものだろう。 細かく言うなら、ここで「打ち手の」だとか「打撃者の」という解釈は厳密でない;なぜなら -iad の接尾語は、英語の "-er"ではなく"-tion"に該当する形態である。 (「〜者」に相当するのは-wyr, wr)。「切り落す行為の(of Hewing)」、 「打倒の(of Felling)」などが正確であろう。 説2) 「指令の槍」"spear of command" (Parry) < gorchymyn 「指令、命令、訓戒(司令・統帥ではない)」) ]
アーサーの槍。『列王史』では「硬くて段平な殺戮向きの槍」と形容されている。 じつはロンというのは単に「槍」を意味するウェールズ語なので、名前には変である (アーサーの犬を「犬」と呼んでいるようなものである)。
 じっさい、『マビノギオン』挿話『キルッフとオルウェン』では、槍はロンゴミアントという になっていて、固有名詞らしい。
 ウェールズ語『ブリート』も、異本によっては、この長たらしい槍名を採用しているものもあるが、 《ヘルゲスト赤書》版などは、原書『列王史』に忠実なので、槍名もロンのままである。
 ワースの仏訳では、うまいぐあいに「硬い」を意味するロワ(古読みロイト)に 槍名がすり替わっている(現代フランス語ならばレード raideとなる)。
 ラヤモンの中英語版では、別の場面において、アーサーの槍が先王ウーサー譲りであり、カーマーゼン市で グリフィンという鍛冶が鍛えたものとしている。
 ロンゴミアントの意味は、上述の語意・語釈のくだりでも詳述しているが、難解のようである。 もっとも一般的なのは、「cyminiadの槍」と読みかえて、 「打撃の槍」の意味にとる論調だ。だが、私が辞書調べした限りでは、この語訓みであれば、 「遺贈の槍」という意味も成立するのだ。そしてそれはラヤモンがいう、 槍が父の代からの得物であったという記述とも符合する。
 スペンサーの作品では、アーサーの「黒檀の槍(黒色の槍)」 "speare of heben"を 従士が抱えていた(『要請の女王』第I巻第vii歌第37節)。18世紀の編者 John Upton の注釈では、 これがジェフリー・オブ・モンマスが、アーサーの槍を、「その黄褐色や黒ずんだ色合いからローン〔粕毛〕と 呼んでいる」ことと合致しているという、異色な論点を展開する。語源は rovano, roano (イタリア語やスペイン語形)を経て、ラテン語 Ravus 「灰黄色、灰色、黄褐色」 に遡及する としている(London: 1758, Vol. II, p.390)

【兜】
Carnwenhau, (Carnwennan)
xxxxx (『マビノギオン:キルッフとオルウェン』 《リーゼルッハ白書》版)[ウェールズ語] ; Carnwennan (同 Gwyn Jones 英訳)
a charnwenhan vyg kyƚƚeƚƚ acharnwennan y gyƚƚeƚƚ p.142 = col. 844 (<同作品《ヘルゲスト赤書》 Rhys & Evans 共編)
[a]charnwenchau vyg kyllell "[and] Carnwenhau my dagger" (x) / charnwennan y gyllell "Carnwennan his dagger" (同・Guest 女史編訳)
"Karnwenhan, mon couteau" / "son couteau Karnwennan" (同・Loth 仏訳),
"Carnwenhan my dagger" (同・ Brown 論文 "Bleeding Lance," p.26).
Charnwennan (三題詩系統『アーサー宮廷の二十四騎士』 Bromwich 編)


[Carnwennan 「明るい柄」"Bright Hilt" (Wilhelm); 「白い柄のもの」"White-hilted one" (Padel) ]

 アーサーの短剣の名。ジェフリーの『列王史』に短剣名はないが、 『マビノギオン:キルッフとオルウェン』では、アルスル王が手放せないとことわった至宝のひとつである。 これは、アルスル王が、いかに親戚キルッフのたっての頼みの一環としても、貸し与えることをかたく 断るというような意味合いだったのだ。しかし、主人公キルッフに課せられた試練を達成するためには、 アルスル王みずから手勢にくわわっており、王はこの短剣で魔女を一刀両断にし、探求物のひとつである その魔女の血が採取された。

【兜】
ゴズホィット = 「雁白グースホワイト〕」
Goswhit (ラヤモン『ブルート』)[ [中英語];
アーサーの父譲りの兜に、史作家ラヤモンがあたえている名だが、 竜の形に彫られているという記述が抜けてしまっている。

【胴鎧】
ウィガー
Wigar (Layamon)[中英語];
アーサーの胴鎧に、ラヤモンの執筆ではつけられている名前で、 作者は、エルフ族の鍛冶師ウィテイェとなっているが、これは鍛冶師ウェイランドの息子の名であろう。

【マント】
グウェン
Gwenn [ウェールズ語];
⇒«アーサーのマント»参照。


----- 所持者・剣 -----

(1) 年代記もの(ウェールズ語以外)
*1a ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』 San-Marte [= Schulz, Albert, 1802-1893] 編 Gottfried's von Monmouth historia regum Britanniae、 (Halle, E. Anton, 1854) [books.google]

*1b Griscom, Acton, 1891-, (ラテン語テキスト)編・駐、 Jones, Robert Ellis, 1858- (ウェールズ語版の英訳)による対訳本。 The Historia regum Britanniæ of Geoffrey of Monmouth (London, New York [etc.] Longmans, Green and Co., 1929.
* ラテン語原文は、ケンブリッジ大学《1706 (C)》を底本に、 大英図書館《Harlech 17 (H) 》、ベルン国立図書館《568 (B)》の異本例を脚注する。 ページ下半には、いわゆる『ブルート・ティシリオ』と呼ばれるウェールズ語版の、 オックスフォード大学《Jesus College ms. LXI (J)》のテキストを英訳した文章を 印刷するという、異色の形式。

*2 Hardy, Thomas Duffus 、 Martin, Charles Trice 編 Geoffrei Gaimar, Lestorie Des Engles (London : 1888-89) [Series: Rerum Britannicarum medii aevi scriptores ; no. 91. ]
VOL. I テキスト; VOL. II 英訳 この作品の本題はアングロ=サクソン英国史だが、序盤は、ケルト=ブリテン人の治世からの 過渡期なので、カリバーンの所持者アーサー王と同世代人としてデーン人ハヴェロックの挿話が紹介。

*2b ゲマールによるハヴェロック伝は、次の書でも紹介される: Gollancz, Israel, Hamlet in Iceland (London: David Nutt 1898), pp. xlviii-xlix

*3a ワース:Le Roux de Lincy, Antoine Jean Victor, 1806-1869 編 Le roman de Brut par Wace (Paris : É. Frère, 1836-38.) 全2巻 Tome 1 (vv 1=8386) [Stanford] [Oxford] Tome 2 (vv 8387~15300) [Indiana U.] [Oxford]

*3b Arnold, Ivor Deiniol Osborn, 1895-1952, 編 Le Roman de Brut de Wace (Paris, Société des Anciens Textes Français, 1er vol. 1938, 2e vol. 1940). [Roman de Brut@U. Ottawa アーサー関連の箇所の抜粋と用語集: 固有名リスト; 同じ親ディレクトリに、テキストの .doc ファイルが存在した]

*4 ラヤモン(Layamon)のテキストは、 大英図書館の《Cotton Otho C.XIII》と《Cotton Caligula A.IX》の写本版とがあるが、 U. Mich Corpus of Middle English Prose and Verse サイト(OthoCaligula)を参照。
また、Madden, Frederic, 1801-1873. 編 Layamon's Brut, or Chronicle of Britain (London, Society of Antiquaries of London, 1847.) [books.google]

*5a ここで1グループにまとめた文献は、どれも1191年におきたとされる アーサー関連の故事を収録(リチャード獅子心王が、十字軍遠征の途上、 シチリア島で、タンクレディ王にカリバーンを贈呈したというもの)。
情報筋としての原点は、このラテン史『ヘンリー2世の事蹟』とされている。 かつてはピータバラの大修道院長ベネディクトゥス・アッバトゥス(1193/4年没)の作とされてきたが、 その人物は、どうやら写本の作業を命じただけのようである。現在では、 ロジャー・オブ・ホーヴデンの原作として帰属されている。 このロジャーは、リチャード王に随行して十字軍遠征に出ているので、剣贈呈に関しては、 一次資料かそれに近いと思われる。1191年の剣の一件は、その事件発生時からまもなくか、 遅くとも2~3年を経ずに書き留められているわけだ。
Stubbs, William 編 Gesta Regis Henrici Secundi Benedicti Abbatis (The Chronicle of the Reigns of Henry II and Richard I, A.D. 1169-1192), Vol. II

*5b ロジャー・オブ・ホーヴデン(盛 1174 -1201年)の『年代記』は、 前項の『ヘンリー2世の事蹟』やリチャードの事蹟』の自作の2書も再編して 後年に書きあげたもの。 Stubbs ed., Chronica Magistri Rogeri de Houedene (London: Longmans, Green, Reader, and Dyer, 1868) Vol. 3 [1189-] , p.97

*5c 『修道士ワルター・オブ・コヴェントリーの回想』(仮訳題名)(1293-1307年頃)は、 より後世代の史家で、独自のオリジナルな文章は書いておらず、他の史書をまる写ししているらしい。 だが、ものによっては、原典が失われたものもあるので、ある年間については貴重史料だという。 Stubbs ed., Memoriale fratris Walteri de Coventria: The historical collections of Walter of Coventry (London: Logman, etc., 1872 [Rolls Series]) Vol. 1, p.433

*5d 前述のはラテン語であるが、トマス・グレーの書は古フランス語である。 Stevenson, Joseph, 1806-1895. ed., Scalacronica: by Sir Thomas Gray of Heton (Edinburgh, Printed for the Maitland Club, 1836.) [books.google] [IArchive]

*6 伝ギヨーム・ド・レンヌ著 ラテン韻文『ブリタニア列王の事蹟』(?) Gesta regum Britanniæ, Michel, Francisque, ed. (base MS. BNF latin 8149)(1862). 近年 Wright, Neil, 編訳 Historia Regum Britannie of Geoffrey of Monmouth第5巻に収録。 英訳の一部抜粋は "Story of Arthur" として Barber, Myths and Legendsに収録。

*7 The metrical chronicles of Robert of Gloucester, ed. W. A. Wright. p.254, 256, 270, 314, 322, etc. The variant forms are also given in the entry under Caliburn in Middle English Dictionary, B.13, vol. 14, p.24

*8 Marvin, Julia ed., tr. The Oldest Anglo-Norman Prose Brut Chronicle (Boydell & Brewer 2006) publisher page with link to Google preview

*9 Robert Mannyng of Brunne, The Story of England, Furnivall ed., (1807) Part 1

*10 Alliterative Morte Arthure, Text Alliterative Morte Arthure @ Project Camelot; also Brock ed., Morte Arthure, (1865) [EETS o.s. 8] [books.google]

*11 Brie, Friedrich W. D., ed., The Brut or the Chronicles of England ... from Ms. Raw. B171, Bodleian Library, &c.,. EETS o.s. 131 and 136 (London 1906-08) 1-391 to the year 1419.

*12 Furnivall, Frederick James, 1825-1910, ed. Arthur - A Short Sketch of his Life and History in English verse of the first half of the fifteenth century, copied and edited from the Marquis of Bath's MS., Liber Rubeus Bathoniæ, 1428 A.D.; [EEST Original Series No. 2] (1st ed. 1864; 2nd ed. 1869; reprinted 1965) Project Gutenberg; also [books.google] | [copy 2] English Poetry Data

*13 Wavrin, Jehan de, seigneur du Forestel, fl. 1415-1471, Chroniques d'Angleterre (c. 1470). Hardy, William, Sir, 1807-1887 and Hardy, Edward L. C. P. edd., Jehan de Waurin, seigneur du forestel, Recueil des Croniques et anchiennes istories de la Grant Bretaigne, a present nomme Engleterre. (London: Longman, Green, Longman, Roberts, and Green 1862) 5 vol., Vol. 1 From Albina to A.D. 688 (1862)


----- 盾 -----















----- 槍 -----
*1 Wilhelm, James J., and Laila Zamuelis Gross, ed., TheRomances of Arthur I (New York : Garland, 1984.).
3-volumes in one edition (Routledge 1994 p.34

*2 Padel, O. J., Arthur in Medieval Welsh Literature. Cardiff: University of Wales Press, 2000.

----- 短剣 ----








----- 兜 ----



----- 鎧 ----



----- マント ----



----- 馬 ----
*1




§ Geoffrey of Monmouth, Historia Regum Britanniae (c. 1136 年頃)

ジェフリー・オブ・モンマス(『ブリタニア列王史』)の第9章では、 ブリテンのウーサー・ペンドラゴン王が崩御し、アーサー王が、 齢十五歳で戴冠する。アーサー王は、コルグリン公が率いるサクソン人の侵略勢の征伐に北上する。

まずはアーサーが勝利し、コルグリンはヨーク市に籠城。コルグリンの兄弟バドゥルフが、 援軍をひきいて、なんとか包囲網を解こうとするが失敗。しかし今度はゲルマニアから、ケルドリク公が、 600隻分の兵をアルバニア[=スコットランド]に上陸させてきた。 アーサーは、側近の言い分を聞いて、いったん包囲を解くことにするが、そのうち姉方の甥っ子であるホエル公爵が、 自領アルモリカ[=ブルターニュ]から、1万5000の軍勢を、ハモの港[=サウザンプトン港]に到着させた。 この連合軍は、リンカーン市郊外で、サクソン軍を大破し、敵の損害は一日で6000人に上った。 その残党は、カリドンの森に逃げ込むが(≒ネンニウスの言う、アーサーの対サクソンの第七の合戦「ケリドンの森の戦い」か?)、 アーサー王は、まわり一周の木を切らせて、逃亡できないようにした。サクソン人は投降し、黄金と人質を 差し入れて講和に応じ、生きながらにして船で国外撤去を赦された。しかし、海上で気がかわり、 またしてやブリテンに攻め入ってきたのであった。

ここで展開はスコットランドなど北部から、南西のサマセット州に移る。 サクソン軍は、温泉町バース市を取り囲んだ。報を聞き、アーサーも出軍。 甥のホエルは病のため、北部のアルクルド市に残さねばならなかったが、 ようやくしてアーサー軍は、サマセット州に突入。 きたる合戦は、サクソン軍が陣取るある丘で干戈が交わることになる。 どこの丘か明示されないが、前後状況からしてバース市かその近くの丘とみなすことができる。 そして、筆者ジェフリーは、ここバース市が、ネンニウスの言う第十二にして最後の決戦「バゾン山の戦い」 (ベイドン山とも)の戦跡だと思っていることは、まず間違いない。 ただし、近代の研究家の大半は、これには同調せず、バゾン山の位置についてスコットランド北部説を採るものも多い。

とにかく合戦の前夜、バース市の近くとみなされるアーサー陣営に、 「レギオンの都市」=カエルレオンの司教ドブリキウスDubricius が、 やってきていた。(距離的には、セヴァーン川を渡って60kmほどの道程らしい)。 司教の説諭で、士気はあがり、兵士たちは意気揚々と武具を纏い始めたが、 アーサーの武器・甲冑の詳しい描写も、ここにある:

Ipse uero arturus lorica tanto rege digna indutus, ‘auream galeam simulacro draconis insculptam. capiti adaptat. Humeris quoque suis clipeum uocabulo pridwen. in quo imago sanctae mariae dei genitricis impicta, ipsum in memoriam ipsius saepissime reuocabat. Accinctus ergo caliburno gladio optimo, & in insula auallonis fabricato: lancea dexteram suam decorat. quae nomine ron vocabatur. Hæc ardua erat lataque lancea, cladibus apta.
— Geoffrey of Monmouth, Historia Regum Britanniae, §IX.4.
Griscom 編本*1、 Ms. Cambridge No. 1796 写本 第 90裏葉
* オタワ大学の抜粋オンラインテキストも参照。
アーサー自身はというと、彼ほどの器の王にふさわしい[皮製の]胴鎧ロリカを 着こなし、竜に似せて彫られた黄金の兜を[頭に]合わせた。上膊にのうで にはまたプリドウェンという丸盾クリペウスがあったが、これには聖母マリア像が描かれていて、しょっちゅうしきりに、かの人のおもかげが偲ばれるのであった。佩刀していたのは、アヴァロン島で拵えられた カリバーンという至上の剣。 右手めてを飾るはロン という槍:これは鋒先けわしく、幅広い槍で、殺戮さつりくかなっていた。
— 私訳(第9章第4節)

 この(バース近くの)丘で起きた決戦で、アーサー自身は、「その剣カリバーンで、470人(のサクソン兵)を始末した」、 と書かれている。比べてネンニウスは、「バゾン山の戦い」で、アーサー自身が960人を殺したと記している。

 この合戦の後の顛末だが、北の町アルクルドに残した甥のホエルが攻められているという報せが入り、 アーサーは主力をまたスコットランド方面にめぐらさねばならなかった。南部のサクソン人の残党狩りは、 コーンウォル公カドルと、一万の勢に委ねられた。公爵は、「バースから出立した」(第9章第5節)と 書かれているので、さきの決戦の場は、やはりバース市だったという傍証となる。

 アーサーは、この勢いをかりて、オークニーやら、アイルランド、ノルウェーやデンマークなどを 属国とする。そして大陸に手を伸ばす。そこでは、ローマ皇帝レオの配下である、 ガリア(=フランス)の護民官フロロとカリバーンで戦い、脳天をかち割る。(第9章11節)


*1 Griscom, Acton, 1891-, 編 The Historia regum Britanniæ of Geoffrey of Monmouth, with contributions to the study of its place in early British history..together with a literal translation of the Welsh manuscript no. LXI of Jesus College, Oxford,(London, New York [etc.] Longmans, Green and Co., 1929)
ラテン語テキストとの比較として、ウェールズ語版(俗名『ティシリオ作ブルート(Brut Tysilio)』)からの英訳(訳者 Jones, Robert Ellis, 1858- )を対文でつけているというユニークな書。

§ Geoffrey (Geffrei) Gaimar (盛 1140年頃?) Lestoire des Engles

In Gaimar's Anglo-Norman chronicle*1, we see incidental mention of Arthur and his sword just as he launches into the tale of Havelok the Dane.
This section was probably a bridge inserted between the lost Les Estorie des Bretons and the extant Les Estorie des Engles, or so Gollancz states*2. The lost work would have been a French translation of Geoffrey that predated Wace if it truly existed.

"Arthur" is first named a little earlier on l.35, but then occurs this passage:
  MEIS li Daneis mult le haeient,
Pur lur paren lur paranz, ki morz estaient,
Es batailles ke Artur fist
Contre Modret, k'il puis oscist   40
Si ço est veir ke Gilde dist
En la geste, trova escrit,
Ke dous reis out jà en Bretaigne,
Quant Costentin estait chevetaigne,
Cil Costentin li niès Artur
Ki out l'espée Caliburc
Adelbrit aveit à nun li uns des reis;
Riches hom fu, si ert Daneis:
Li altres out nun Edelsie;
—ll.37-49, Thomas Wright., ed.,
Estoire Des Engles
BUT the Danes hated them much,
Because of their kindred, who had died
In the battles that Arthur fought
Against Mordred, whom he afterwards slew,
If that is true that Gildas said,
In the Geste, he found written,
That there were two kings formerly in Britain
When Constantine was chief.
This Constantine was the nephew of Arthur,
Who had the sword Caliburc
One of the kings had for his name Addelbrit.
He was a rich man, also he was a Dane.
—tr. Wright

But the Danes greatly depised[?] him,
For the parents of their parents were killed,
In the battles that Arthur waged
Against Mordred, who he then slew,
If it is true what Gildas said*3,
In the gestes, it is found written,
That].. two kings once ruled in Britain
when Constantine was chieftain;
this Constantine was the nephew of Arthur
who wielded the sword Excalibur.
One of the kings had the name Adelbriht.
He was a powerful man; he was Danish.
The other had the name of Edelsi;
—bracketed translation mine;
thereafter Stephen H. A. Shepherd tr., *1
in A Norton Critical Edition: Middle English Romances, p. 319-
[based on edition of Alexander Bell,
Anglo-Norman Text Society, Nos. 14, 15,16
(Oxford, Basil Blackwell, 1960)

    Normally there is not thought to be much connection between Arthur and Havelok. But Gollancz*4 states that previous scholarship has established that romances of Hamlet as well as Havelok are partly derived from accretions of legends around Anlaf Curan (Irish form of "Olaf o' the Sandal"), a Hiberno-Danish king who was a chief antagonist defeated by Athelstan in the battle of Brunanburgh in 937.
    Gaimar made Havelok a near-contemporary with Arthur by mistake, and Gollancz explains:
.. by an error, Gaimar confuses this tenth-century Constantine [Constantine III of Scotland, Anlaf's father-in-law and ally] with Constantine, "the nephew of Arthur, who had the sword Calidure"
— Gollancz, pp. xlviii-xlix,

[Summary of the beginning part of Havelok]
Just to give a glimpse of what follows, here is a digression into a brief recap of the Anglo-Norman version of Havelok as given by Gaimar. The Adelbriht above corresponds to "Athelwold" of the Middle English romance,and when this king dies, he is soon followed by his wife Orwain in death, so that the daughter Argentille ("Goldburg" of the M.E. version) is left orphaned. When this happens, the other king Edelsi (named Godrich in the M.E. version), who is the brother of Orwain and thus uncle to Argentille is appointed to take guardianship, but decides to usurp the kingdom. As part of his scheme, he weds Argentille to a scullion named Cuaran. The scullion turns out to be Havelok the Dane, his royal heritage being uncovered by the
⇒flaming mouth (cf. Leifnis eldr).


*1 An extract translation of Gaimar is appended (to supplement the text of the Middle English Havelok and ) in: Stephen H. A. Shepherd ed., Middle English Romances: A Norton Critical Edition, (New York: W. W. Norton & Co., 1995), p.xl-

*2 Introduction, Chap. III, in Gollancz, Israel, Hamlet in Iceland: Being the Icelandic Romantic Ambales saga (London: David Nutt 1898) (Reprint AMS Press1974).

*3 I do not believe this line should be taken to mean "If it is true what Gildas said (about Havelok)", thus spurring unwarranted speculation on some lost work by Gildas that recorded an early legend of Havelok, is misguided. Rather, this line should read: "Mordred slew Arthur, if it is true what Gildas said". Now it is well-known that Gildas, a contemporary of Arthur's, does not mention Arthur at all by name in his De Excidio Britannia ("Concerning the Ruin of Britain"), and this is probably because of a personal grudge. But according Rhys, The Arthurian Legend, p. 8, Gildas accuses "Maglocunus or Maelgwn" of "having slain and superseded" his (unnamed) uncle, and that uncle has sometimes been argued to be Arthur. Gollancz (see below) does not view Gildas as being Gaimar's source at all.

*4 op. cit.

§ Wace, Roman de Brut (c. 1155 年頃)

 次に、ワース訳『ロマン・ド・ブリュ』を紹介。つまりジョフリー・オブ・モンマスの上記のくだりが翻訳された箇所の、古期フランス語文を引用する。
 幾ばくかの加筆が認められる程度である。しかし、散文を詩文に書き直すということは、脚韻もふまねばならないという制限がかかるつごう、表現の言い換えはその過程上でさけられないのだ。 また、次に挙げるラヤモンの中英語訳(いわくつきや由緒がふんだんに添加されてしまっている)にくらべれば、まだおとなしいものだ。
Fist Artus armer ses conpaignes;
Sa gent parti et ordena,
Et il meïsmes se rarma.
9275     Ses chauces de fer ot chauciees,
Beles et bien aparelliees;
Hauberc ot bon et bel vestu,
Tel qui de tel roi dignes fu;
Calibore ot ceinte, s'espee,
9280     Qui bien fu longue et bien fu lee;
An l'isle d'Avalons fu fete;
Qui la tient nue mout s'an hete.
Hiaume ot an son chief cler luisant,
D'or fu li nasex de devant
9285     Et d'or li cercles anviron;
Desus ot portet .i. dragon;
El hiaume ot mainte pierre clere,
Il ot esté Uther son pere.
Sor .i. cheval monta mout bel
9290     Et fort et corrant et isnel.
Priven, son escu, a son col,
Ne sanbla pas coart ne fol.
Dedanz l'escu fu, par mestrie,
9295 De ma dame sainte Marie
Portrete et pointe la sanblance,
Por enor et por remanbrance.
Lance ot roide, Roit avoit non;
Acerez fu li fers an son;
Auques fu lons et auques lez,
9300     Mout ert an besoigne dotez.
— ll. 9272-9300,
Wace, Roman de Brut,
éd. Arnold, Ivor, Le Roman de Brut de Wace
(Paris, Société des Anciens Textes Français,
1er vol. 1938, 2e vol. 1940).
アルテュス[アーサー王]は、一同の具足をととのえさえ、
者どもを分隊し、整列させた。
自らは甲冑をまとい、
美事みごとで良き作柄の鉄の臑当すねあてを履き、
かほどの王にふさわしき美事みごとで良き鎖帷子ホーベルク*1をまとい;
その剣カリボールを佩く。
長く幅広く、アヴァロン島でこしらえられし[その剣]の
抜き身を手にしうる者は、これ幸せなり。
頭にせしその兜は、冴えてまばゆく、
黄金の鼻庇はなびさしが前に、
そして幾重かの金縁環きんぶちわがぐるりと取り巻き、
その下には竜が備わり、兜には数々の澄んだ宝石がちりばめらるが、
そはかつて父王ユテールのものなりし。
王はいと美しき馬に乗る、丈夫で意気ある駿馬なり。
その盾プリヴァンを首にかけた。
その姿は卑怯にも阿呆うつけにも映らない。
この盾の内側は、匠の妙技わざで、
聖母マリアの像がこらされ、似顔絵が絵画されていた(X)
その栄誉と記念にちなむべく。
[王は]ロワ[ロイト]という名をもつ堅い槍をもち、
その矛先は鋭く、やや長く幅広く、
大いに恐るるに足るべきものであった。
— 私訳
*訂正:第9296行目のpointeは、「指す」等の意味ととっていたが、 どうもpeindre「ペイントする、絵を描く」の異綴りとしたほうがよいと思いなおした。 よって「似顔絵がこちらを向いていた」(X)→ 「似顔絵が絵画されていた」と訂正。



*1 有永訳・岩波文庫『ロランの歌』384行の巻末註では「鎖鎧(オーベール)」と表記しているが、 正確な古期フランス語発音は、このようなゲルマン語源の場合、語頭の"h"は発音することになっていて、"hauberc"もその一例に挙げられる。
ちなみに、この訳本は一貫して現代フランス語発音で表記している。自分もその手法にのっとているのだが、 ここではあえてルール破りをした。

§ Layamon Brut (c. 1200-10)

ラヤモン中英語版『ブルート』は、アーサー王の武器甲冑について、どこにも前例のない幾つもの伝承を 追加記述している。

 アーサー王の胴鎧バーニーウィガー Wygar と名づけられ、エルフ族の鍛冶師ウィテイェWiteȝe が鍛えたものであるとする。 その兜ゴスホィットGoswhit すなわち 「雁白グースホワイト」は、父王ウーサーより相続したものだという。

 さらにはアーサーの槍ロン Ron も父王ウーサーゆずりの品で、カイルメージン Kairmeðin (つまり「マーリンの砦」 = ウェールズのカーマーゼン)の鍛冶師グリフィンGriffinと記されている。(*これはケルトの鍛冶(の神) ゴファノン Gofannon [ウェールズ語]またはゴヴニュ Goibniu [アイルランド語]の転訛ではないかと推察されている)

 以下は、上で重ねて引用している「魔法の備品」のくだりの、ラヤモンによる一節である:

10535    Þa comen tidende; to Arðure þan kinge.
þat seoc wes Howel his mæi; þer-fore he wes sari.
i Clud ligginde; & þer he hine bilæfde.
Hiȝenliche swiðe; forð he gon liðe.
þat he bihalues Ba[ð]e; beh to ane uelde.
10540    þer he alihte; & his cnihtes alle.
and on mid heore burnen; beornes sturne.
& he a fif dæle; dælde his ferde.
Þa he hafde al iset; and al hit isemed.
þa dude he on his burne; ibroide of stele.
10545 þe makede on aluisc smið; mid aðelen his crafte.
he wes ihaten Wygar; þe Witeȝe wurhte.
His sconken he helede; mid hosen of stele.
Calibeorne his sweor[d]; he sweinde bi his side.
hit wes iworht in Aualun; mi[d] wiȝele-fulle craften.
10550    Halm he set on hafde; hæh of stele.
þer-on wes moni ȝim-ston; al mid golde bi-gon.
he wes V[ð]eres; þas aðelen kinges.
he wes ihaten Goswhit; ælchen oðere vnilic.
He heng an his sweore; ænne sceld deore.
10555    his nome wes on Bruttisc; Pridwen ihaten.
þer wes innen igrauen; mid rede golde stauen.
an on-licnes deore; of Drihtenes moder.
His spere he nom an honde; þa Ron wes ihaten.
Þa he hafden al his i-weden; þa leop he on his steden.
— lines 10535-10559 , Layamon's Brut,
(Brit. Lib., Cotton Caligula A.IX).
アーサー王に、報が入った、 ハウエル*2 が病臥せし、と。
いたく悲しかれど、クルード(ストラスクライド)*3に残し去る。
急ぎ足にて進軍し、バース[バドン]の野に至る。
そこで騎士ら皆、軽やかにトンと馬を降り、
豪の者らは、胴鎧バーニーを着用する。
[王]は五等分に軍を分割させた、
全員を整列させ、全軍がととのった。
[王]は自分の胴鎧バーニーを着た。それは鋼つづりで、
エルフ族の鍛冶師が、高尚な技巧でこしらえしもの、
ウィテイェなる者が作りし[その鎧は]ウィガーと称した。
[王]は向う脛むこうずねを鋼の臑当すねあてで隠し、 その剣カリベオーネを腰にぶらさげた、
それはアヴァルンにてたえなる技でこしらえしもの
その頭にした鋼鉄の兜には 宝石多く、どれも黄金でくるまれていた
[この兜]は、かつてウーゼル(=父ウーサー)、かの高貴なる王の持ち物だった
[この兜]の名はゴスホウィト〔雁白〕といい、比類なきもの、
[王]は頸から大事な(高価な)盾を吊るしていた
その名はブリテン語でプリドウェンといった。
そこには至純の黄金で、主の御母みはは の似顔絵像が刻まれていた
[王]は、槍を手にした。その[槍]はロンといった。
すべての具足がそろうと、駒に飛び乗った。
— 私訳

 ここでウィテイェとみえる鍛冶師の名が、なぜか現代語訳では「魔道師ウィザード」等とされてしまっているケースがある。ラヤモンの翻訳家である Eugene Mason にもそれが見られるが、不思議なことに Mason は、 序文でこんなふうに鍛冶師がウィテイェであると言明しているのである:
ラヤモンは、アーサーの武器一式についてさらなる情報をつけくわえている。 [ラヤモン](21133-34 行。 上の10546行に相当) によれば、[アーサー]の胴鎧(バーニー)は 「ウィガーと称されていた」 (アングロサクソン語 wigheard) 「戦闘(で)硬き」)。 そして「ウィテイェ Witeze[Witeȝe] なる者が作り」とあるが、 ウィテイェ とは、ウィディアの、つまり物語で魔法武器の職工として有名なウェーランド (ゲルマン民族のウルカヌス)の息子のアングロサクソン名の、転訛したものである。 伝承の中で、このように父と子が同一化されてしまうことは、ままあることである。

以上が、G.L. Kittredge 教授による引用行の説明であり、 Frederic Madden 卿の訳では "he was named Wygar, the witty wright" 「 彼の(つまり胴鎧を作った鍛冶師の) 名は、ウィガーと言って、ウィット(機智・知能)に富む男であった」と訳されてしまっている ことの訂正である。
次に引用するくだり(約1000行のち)では、ラヤモンがアーサーの槍について詳細を追加している。
Sette he an hefde; ænne helm godne.
to his side he swende; his sweorde Caliburne.
his sconken he helede; mid hosen of stele.
and duden on his uoten; spuren swiðe gode.
11865   Þe king mid his weden; leop on his stede.
me him to rehte; anne scelde gode.
he wes al clane; of olifantes bane.
Me salde him an honde. enne scaft stronge.
þer wes a þan ænde; a spære swiðe hende.
11870   hit wes imaked; i Kairmeðin; [bi] a smið þe hehte Griffin.
hit ahte Vðer; þe wes ær king her.
— 11869-71 行, Layamon 著 Brut,
(大英 Cotton Caligula A.IX 写本)*4.
その頭には良き兜を置き、 脇には剣カリバーンを吊るす
すねは鋼の臑当すねあてで覆いかくし、 足には良き滑車をつける
王は、衣装みじたくとともに、馬に飛び乗った
者らがさしだした良き盾は、 潔く象牙製。
その手に渡した強き長柄は、 先に槍がついていた。
[槍は]カーマーゼン市でグリフィンなる鍛冶師がこしらえた、
かつてはウーサー、さきの先王が得物なり。
— 私訳




*1 ラヤモンが "Witeȝe" と記している人物だが、このつづりは中期高知ドイツ語でいうところの Witegeに非常に近く、ヴィーラント Wielant の息子 でハイメ Heime の相棒であるウィテゲに間違いあるまい。
アングロサクソン文学では、古詩『Waldere』の断片に鍛冶師ウェランドの息子(Wēlandes bearn)のウィディア Widiaの名が見え、 長寿放浪の物知り『Widsith』の詩では、ハーマの相棒ウドガ Wudga の名が記される。


*2 ハウエルは、ジェフリーではホエルスHoelus [羅]と表記され、 アーサーの甥で、ブルターニュ地方(アルモリカ)を治める一族。 その縁故のヘレン(エレーヌ)が聖ミシェル山の巨人 に殺されている。

*3 Clud ≈Alclud, Alcluith, Strathclyde






























*4 Cotton Otho 写本 (10990-2 行)では、この箇所は: "an ho(nde) ane saft stronge / þar was in þan eande; a(n) hefd swiþe hende./ hit was i-maked in Ker-merþin; [bi] a smiþ þat hehte. Griffin."

§ Robert of Gloucester, Metrical Chronicle (c. 1290年頃)

ロバート・オブ・グロスターの韻律体『時代記』の記述。

Þe kynn, was aboue yarmed wyþ haubert noble & rche,
wþ helm of gold on ys heued, (nas nour hm lche)
Þe fourme of a dragon þeron was ycast.
Hys sseld, þat het Prydwen, was þanne honge wast
Aboute ys ssoldren, and þeron peynt was and wort
Þe mage of our Lady, inwan was al ys þoȝ;t.
Md s suerd he was gurd, þat so strong was & kene,
Calbourne yt was cluped, nas nour no such ye wene.
In ys rȝ;t hond s lance he nom, pat ycluped was Ron,
Long & gret & strong ynow, hym ne mȝ;t atsytte non.

Charlotte Guest 女史の英訳、
Mabinogion, "Kilhwch and Olwen"の注より
王は上半身を高貴で豪奢な鎖鎧でよろい、
頭にある(比類なき)黄金の兜は、 竜の形に鋳られていた。
その盾はプリドウェンと称し、
肩まわりに掛けられ、われらが婦人[マリア様]の像が描かれており、
すべての思いにしました。
それに頑丈で鋭い剣、
カリボールネと名づけしのほどは、そのたぐい知れぬ。
その右手にある槍は、ロンといい、
それは長く大きくたくましく、 歯向かえる者は無し。
— 私訳



*1 xxx
*2 xx

§ Robert Mannyng of Brunne, Chronicle (c. 1338 年頃)

ロバート・マニング またはロバート・オブ・ブルンネ(1269-1340 年) の時代記は、ワースの仏訳により忠実である。 つまりラヤモンの英訳と比較すると、よりワースに沿った内容になっている。

一例を挙げよう。アーサーが、
⇒聖マイケル山(モンサンミシェル)の巨人と戦う一連のくだりである。

 ジェフリーの記述だと、アルトゥルスは特定なしの「剣」グラディウス(gladius)を使って巨人を倒す。 そしてラヤモンでも、「そのソード」、「その良きブランド」で巨人と戦っている。
 ところがワースの仏訳では、アルテュスが「強きエスカリボール」(Escalibor l'alemeleRoman de Brut』 11937 行) を用いて巨人と戦っている (11560-995 行)からである。  そしてマニングの時代記では、ワースの記述にならい、アーサーがカリボーネ Caliborneを使って巨人と戦う。

 さらには、マニング時代記は巨人の名をディナブロック Dynabrok だとしており、 これもワース仏訳で巨人をディナビュック Dinabuc と呼んでいることを踏襲している。 ほとんどの伝承では、「聖マイケル山の巨人」に特に名は無いのである。



*1流布本『マーリン物語』、詳しく言うとミシャ編にある ロベール・ド・ボロン作版ではなく、ゾンマー(H. Oskar Sommer)編にある延長版Estoire de Merlin では、アルテュス王は「リオン王から勝ち取った剣」で聖ミシェル山の巨人と対峙する。 リオン王から奪った剣は、⇒マルミアドワースという名。

§ Jehan de Waurin, Croniques et anchiennes istories de la Grant Bretaigne (1470年頃)

 ジーン・ドゥ・ワーリン〔*ジュアン・ド・ワヴリン等とも〕の年代記では、カムランの戦いについて、 ジェフリー・オブ・モンマスのみの史料でなく、流布本系『アーサーの死』 などの物語を引用している。

 ジェフリーによるキャメル川(カムラン)の戦いの章(『列王史』第XI巻第ii章)では、 アーサーは剣をとって、モルドレドがいる部隊に突撃して彼を討ち取り、自分も致命傷を負ったとある。

 ワーリンの年代記では、この合戦について拡張された章がもうけられている 「第XXXIV章:アルテュス王がモルドレトと対峙した二戦と、二人の一騎打ちの結末の様について語る (Cy parle des deux batailles que ot le roy Artus alencontre de Mordreth..)」。 これによれば、アルトュス(アーサー)王は、自分の隊のいるところまで、 すさまじい激昂と速度でもって馬を駆ったので、まるで地面が溶けるようだったという。 そして
Et advint sy bien roy Artus quil assena tellement Mordreth de sa lance quil le perca oultre le corps, sicque au retirer sa lance un ray de soleil feut veu tout clerement passer par my le corps du desloyal Morderth
「そして事はアルトュス王に有利に進み、さもある槍の一撃が、 モルドレトの体を貫通した。槍を引き抜くと、不忠のモルドレトの体から、 陽日の光が漏れているのがはっきり見えた。
となっているが、これは、流布系『アーサーの死』にある描写そのまんまである。 欺瞞的で裏切者のモルドレットは、自分が致命傷を受けたと悟ると、 すさまじい悪意で、叔父のアーサーの頭部を剣で打ちすえ、 漿水(?)が馬に噴き出たが、即死の一撃にはならなかった。 モルドレットは、その一撃を打ち終わるや、体が硬直して 死体となって地にくずれた。 (p.445-6).

 この章のしめくくりでも、ワーリンは<アーサーは、治癒のためアヴァロンに連れて行かれた>という ありきたりの描写ではあきたらかなかったようだ。 アルテュールは、エクスカリバーをジルフレ[ット]に 渡し(ただし湖に投じよと命じたことは書かれていない)、そして アヴァロンに向かうバーク船に乗り込んだ:

Quant la bataille fut finee, les ix. chevalier vindrent en la place ou gisoit le roy Artus comme demi mort; mais quant il vey Gifflet et son nepveu Constantin, il se leva.. et ses neuf compaignons sen alerent en un hermitage.. [où Artus] confessa a lhermite et fist son testament, sy laissa son royaulme a Constantin, filz Cador roy de Cornubye; ..[Artus] embraca lun de ses troix chevaliers.. [et] fist morir entre ses bras. Les deux aultre .. sendormirent, et.. Artus sesvanuy, sicque on ne sceut oncques quil devint; mais les aulcuns dient quil fut transportez en lisle de Avalon pour garir ses plaies, sy comme Merlin lavoit prophetisie, ou il est en joye et en repos, et sera jusques au jour du jugeent.
    Lhistoire du Saint Graal en parle aultrement, dont je me passe den parler,..
    Aulcuns veullent dire que quant le roy Artus apercheut que tous ses compaignons estoient mors exepte Gifflet, quil lappella, et sen alerent tous deux sur le rivage de la mer, puis baisa Artus Gifflet et lui bailla Caliburne sa bonne espee, sy sen entra en une nef quil trouva illec toute preste, laquelle sy tost comme le roy Artus fut dedens entres sy se esquippa parmy la mer sy impetueusement ue Gifflet ne sceut quelle devint en petit espace.
—William Henry ed., Jehan de Waurin, Croniques, p. 446-8 :

カムランの戦いの後.. 九人の騎士たちは、半死のアーサー王が横たわるところに行った; 王は甥のコンスタンティンとジルフレ[ット]を見ると[起き上がり;九人の供は、 隠者(世捨ての孤独な出家僧)の庵に行き、そこで懺悔をし、遺書をしたため、 王国をコーンウォルのカドルの子コンスタンティンに遺贈した。] confessed himself to the hermit and made his will, leaving his kingdom to Constantine the son of Cador of Cornwall, [Arthur embracing one of the three knights and died in his arms, the two others fell asleep] and King Arthur vanished, so that it was never known what became of him, but some say he was carried to the island of Avalon to be healed of his wounds, as Merlin had prophesied, where he remains in joy and rest, and will be till the day of judgment.
    The story of the St. Graal speaks of this in another manner [but I will forgo speaking about it]..
    Others will have it, tht when King Arthur perceived that all his companions were dead except Gifflet, he called him, and they went both together to the sea shore, where Arthur kissed Gifflet and gave him his good sword Caliburn, and then entered a ship which he found ready theree, and which, as soon as King Arthur got into it, skimmed aslong the sea so rapidly, that in a little while Gifflet did not know what had become of it.
—Hardy's translation provided in his notes, p.561

*1 Note that in the extended Estoire de Merlin (Sommer ed.) , Arthur uses the sword he won from King Rion, i.e., the sword ⇒Marmiadoise .

§ Culhwch ac Owein (est. late 11c.?) but redacted in RBH, WBR (14c.)

    Culhwch sees Arthur who is a kinsman and there is a hair-cutting ritual; consequently Culhwch will obtain a favor from Arthur, which can be almost anything he can name, and the exceptions are his sword and other treasures.

Heb yr arthur yna. kanny thrigyy di yma unben. ti ageffy y kyfarws a notto dy benn ath dauawt. hyt y sych gwynt. hyt y gwlych glaw. hyt y treigyl heul. hyt yd amgyffret mor. hyt yd ydiw y dayar. eithyr vy llong. am llen. achaletuwlch uyg cledyf. arongomyant uyggwaew. ac wyneb gwrthucher uyn taryan. acharnwenchau vygkyllell. a gwenhwyuar vyggwreic.
— Lady Guest ed., Mabinogion Vol. II (1849) p.204
Then said Arthur, "Since thou wilt not remain here, chieftain, thou shalt receive the boon whatsoever thy tongue may name, as far as the wind dries, and the rain moistens, and the sun revolves, and the sea encircles, and the earth extends; save only my ship; and my mantle; and Caledvwlch, my sword; and Rhongomyant, my lance; and Wynebgwrthucher, my shield; and Carnwenhau, my dagger; and Gwenhwyvar, my wife. By the truth of Heaven, thou shalt have it cheerfully, name what thou wilt." "I would that thou bless my hair." "That shall be granted thee."
— tr. Lady Guest
    Arthur's dog is involved in..
Agwedy kymot y gwyrda hynny uelly. y kauas arthur mygdwn march gwedw. achynllyuan cwrs cant ewin. Gwe­dy hynny ydaeth arthur hyt yn llydaw. a mabon uab mellt gantaw. agware gwallt euryn y geissaw deu gi glythmyr lewic. a gwedy eu kaffel yd aeth arthur hyt yggorllewin iwerdon y geissaw gwrgi seuri. ac odgar uab aed brenhin iwerdō gyt ac ef. ac odyna ydeuth arthur yr gogled. ac y delis kyledyr wyllt. ac yd aeth yskithyrwyn pennbeird. ac ydaeth mabon mab mellt adeugi glythuyr led­ewic ynlaw. adrutwyn geneu greit mab eri. ac ydaeth arthur ehun yr erhyl. a chauall ki arthur yny law. ac yd esgynnwys kaw o brydein ar lam­rei kassec arthur. ac schub yr kyfuarch. Ac yna y kymerth kaw o brydein nerth bwyellic. ac ynwych yr trebelit y doeth ef yr baed. ac y holldes y benn yndeu hanner. achymryt aoruc kaw yr ysgi­thyr. Nyt y kwn anottayssei yspadaden ar gulhwch aladawd y baed. namyn kauall ki arthur ehun.
— Lady Guest ed., Mabinogion Vol. II (1849) p.238
And when Arthur had thus reconciled these chieftains, he obtained Mygdwn, Gweddw's horse, and the leash of Cwrs Cant Ewin

And after that Arthur went into Armorica, and with him Mabon the son of Mellt, and Gware Gwallt Euryn, to seek the two dogs of Glythmyr Ledewic. And when he had got them, he went to the West of Ireland, in search of Gwrgi Severi; and Odgar the son of Aedd king of Ireland, went with him. And thence went Arthur into the North, and captured Kyledyr Wyllt; and he went after Yskithyrwyn Benbaedd. And Mabon the son of Mellt came with the two dogs of Glythmyr Ledewic in his hand, and Drudwyn, the cub of Greid the son of Eri. And Arthur went himself to the chase, leading his own dog Cavall. And Kaw, of North Britain, mounted Arthur's mare Llamrei, and was first in the attack. Then Kaw, of North Britain, wielded a mighty axe, and absolutely daring he came valiantly up to the boar, and clave his head in twain. And Kaw took away the tusk. Now the boar was not slain by the dogs that Yspaddaden had mentioned, but by Cavall, Arthur's own dog.
— tr. Lady Guest

    One of the many quests that Culhwlch must fulfill is to obtain the blood of a certain witch or hag named Orddu. Arthur sends out two men and two more who fail also. All four have been taken down by the hag.

hyt nasgwypei duw y vn o honunt ellpedwar allu mynet or lle. namyn mal ydodet ellpedwar ar lamrei kassec arthur yna achub aoruc arthur charnwennan y gyllell
— Lady Guest ed., Mabinogion Vol. II (1849) p.247
And Heaven knows that not one of the four could move from the spot, until they placed them all upon Llamrei, Arthur's mare. And then Arthur rushed to the door of the cave, and at the door he struck at the witch, with Carnwennan his dagger, and clove her in twain, so that she fell in two parts. And Kaw, of North Britain, took the blood of the witch and kept it.
— tr. Lady Guest

*1 Lady Guest, ed., tr. The Mabinogion: From the Llyfr Coch O Hergest, and Other Ancient Welsh Manuscripts, Vol. II (1849)
English only: "Kilhwch and Olwen", in the Mabinogion, tr. Charlotte Guest. "Howe Culhwch won Olwen" in Jeffrey Gantz tr. The Mabinogion, etc.

§ ウェールズ語 Brut Tysilio (c. 15-16 世紀頃)

これは、ジェフリーがそもそもの情報源としたウェールズ語文献であるだとか、 ジェフリー以前の文献から書き起こしたまったく独自の作だとか主張がなされる事もあるが、疑わしい。 通称はティシリオ作『ブリート』というが、七世紀の聖ティシリオの作だというのは、まるで根拠はないらしい。
 {ちなみに以下でこれから引用しようとしているのは、ウェールズ語テキスト*1ではなく、 改めて手写本も検証してからの英訳(Griscom 編『ブリタニア列王史』収録*2)である。 }  

 伝・聖ティシリオ作『ブリート』の別の英訳(Peter Roberts*3) には 原典が「ジーザス・カレッジの《ヘルゲストの赤本》にある」であると言明されているが、、 これは誤謬であると Griscom は指摘している*4
 《ヘルゲストの赤本》に収録されているのは、俗称"ウェールズ語『ジョフリーのブルート』"、 ウェールズ語題名『Ystorya Brenhined y Brytanyeit』、 活字では Rhys*5が発行されている。

 これらテキスト関係についてはきちんと調べ切れていないので、あるいは勘違い・間違いもあろうかと思う。 後日、他の本も調べて整えたい。

 前置きが長くなったが、『ブルート・ティシリオ』の英訳からの重訳を掲載する:
そしてアルシール Arthyr は王にふさわしい胸当てをつけた; その頭には黄金の兜あり、 火竜の模像がついていた、そして、いまひとつの像はプリードウェン prydwenn [祝福たる形象]といい、内側にはマリア様の肖像が彫られ、これをアルシールは戦の危険に 討ち入るおりに携えた。 そしてカレドヴールフ kaledvwlchという剣を持っていったが、 それはブリーダイン島 ynis Brydainの天下一の品だった。それはアヴァスァッハ島 ynys afallach で作られたものだった。そして[王]はロンギーミーニアド Rongy­myniadという名の槍を手に取った。そして皆ものどもは鎧じたくを終えると、大司教の祝福を受け、(第107裏葉) こぞって猛然と敵に襲い掛かり、夜まで殺しつづけた。そして夜が近づくと、 サクソン人 ssaessonは、小高い丘の上を目指した。 そこで避難できると思ったからだ。そして次の日が来ると、アルシールはその山を占奪した; それでも奴らは猛烈と戦った。そして憤激のあまり、アルシールはその剣カレドヴールフ を抜き払い、マイル Mair [マリア様]の御名を思い出しながら、 雄雄しく敵軍を突撃すると、出会ったものはいずれも一刀のもとに殺された; どころかアルシールは、四七〇人のサクソン人を討ち取るまで、休むことをしなかった。
— Jones 英訳 "Brut Tysilio"
(Griscom 編 The chronicle of the kings of Britain pp.438-9より重訳)
(オックスフォード大学ジーザス・カレッジ第 LXI 写本, 106表-107裏葉)

*1 The Myvyrian archaiology of Wales (1801年 再版 1870年)に収録。 ここではこの作品を(『Brut Tysilio』ではなく)『Brut Gruffudd ab Arthur』 と題するらしく、 Guest 女史もKilhwch and Olwen 注で引用。

*2 ウェールズ語『Brut Tysilio』の Jones による英訳は、既出の Griscom 編 『Historia regum Britanniæ』 に収録。

*3 Roberts, Peter 英訳 The chronicle of the kings of Britain / translated from the Welsh copy attributed to Tysilio; (London : Printed for E. Williams, 1811)
文中ではウォルター助祭(ジェフリーが資料を借りたと言っている人物)が訳出したことになっている:「私ことオクスフォード大助祭ウォルターは、この本をウェールズ語からラテン訳し、のちラテン語からふたたびウェールズ語に訳した」。最初のウェールズ語本が聖ティシリオ作だったというのは憶測らしい。

*4 《ヘルゲストの赤本》はジーザズ・カレッジ所蔵ではあるが、 『ティシリオ』があるのは、ジーザズ・カレッジ LXI 写本。

*5 Rhys, John, Sir, (1840-1915 年)、 Evans, J. Gwenogvryn 共編 The text of the Bruts from the Red book of Hergest (Oxford, J.G. Evans 1890年)
Introduction to Geoffrey's Brut, by John Rhys.--Dares Phrygius.--Ystoria Brenhined y Brytanyeit.--Brut y tywyssogyon.--Brut y Saesson.--From Gwrtheyrn Gwrtheneu to King John.--Cantreds and commotes of Wales.--Palæographical notes.

§ 散文体 中英語訳 Merlin (c. 1450 年頃)

流布本『メルラン物語』に「隷属なまでに忠実」な英訳("slavishly faithful") と定評の中英語散文訳で、 上の時代記系統には属さないのであるが、(マロリー以前の)英訳なだけあって、アーサーの剣のフランス名「エスカリボール」 を訳すにあたっては、"Escaliboure" と "Calibourne" の両方のスペルをもちいている。

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